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某処某人11



岡山県真鍋島








◆瀬戸内少年野球団◆

夕べは恵みの雨でした、とラジオが言っていた。前の日の夜、尾道の山中で起きた山火事を、消してくれたのだという。
岡山の笠岡という港から、船に乗った。
神島、白石島、北木島、真鍋島、佐柳島と巡航する小型客船は、瀬戸内海の岡山県と香川県の間に連なる笠岡諸島を行き交う、唯一の交通手段だ。
漁船の上に箱をかぶせて雨よけにしたような小さな客船には、食料品や生活雑貨をビニール袋一杯に詰め込んだ老人達が20人ばかり乗りこんでいて、静かに談笑していた。
がたがたと船体を震わせながら、案内もアナウンスもなしに、船は唐突に瀬戸内の海へとこぎ出した。
真鍋島までは一時間10分、乗船料は760円。
映画『瀬戸内少年野球団』のロケ地となった島である。
作詞家の阿久悠氏が原作を書き、篠田正浩監督が八四年に映画化した。主演は故・夏目雅子と郷ひろみ。その脇を大滝秀二、岩下志麻、伊丹十三、渡辺謙、ちあきなおみと、蒼々たる面子が固めている。今思えば何とも豪華な映画だ。
原作者の阿久さんが、
「長い歴史のなかで、たった3年だけ、子供が大人より偉い時代があった。その時代を等身大の戦後史として書きたかった」
と文庫版のあとがきに書いている。
確かにこの作品は、野球映画ではない。夏目雅子と郷ひろみという当時一世を風靡したタレントの恋愛映画でもなく、ましてや少年活劇でもない。
昭和というこの国の戦後史を、けっこう理屈っぽく描いた、わりかし教訓クサイ映画なのである。
本棚の奥にあったビデオを引っぱり出し、J・ガーランドの『IN THE MOOD』を久しぶりに耳にしながら、夏目雅子演じる駒子先生が、悪ガキ共に向かって「私達、野球やりましょう」と言うのを眺めていたら、何だか無性に真鍋島に行ってみたくなった。

◆津軽海峡冬景色◆

これは余談だが、阿久悠という人は大変に優れたコピーライターだなと、僕はつねづね思っている。
最近はすっかり作家センセーになってしまったようだが、70〜80年代の歌謡曲全盛の時代、湿度に満ちた曲調に(当時の歌には「湿気」というか「湿度」というか、どこかウェットな感じがあって、僕はとても好きである)、阿久さんが描き出した詞の世界というのは、まるで一つの文学作品のように、独特で、アヴァンギャルドだったように思う。
以前、彼が『津軽海峡冬景色』という曲の詞を作った時のことを語るのを、聞いたことがある。ご存じ石川さゆりが1977年に歌って、大ヒットした演歌だ。
「上野発の 夜行列車 降りた時から 青森駅は 雪の中」
最初のフレージングの中に詰め込まれたこの言葉のテクニック、まったくもって、見事としか言いようがない。
当時の演歌で、1つのセンテンスにこれだけ言葉を羅列し、リズムよく刻み込むというのは非常に珍しいことで、関係者の間では随分話題になったそうだ。
が、僕が心底すごいなと思うのは、最初のこのフレーズで、オーディエンスを一気に津軽海峡まで連れていってしまう、その言葉選びの技術にある。
例えばこの詞がいきなり青森から始まっていたら、僕らは恐らく、今いる場所から津軽まで行くことはできない。
それを、「上野」というノスタルジックな駅名に「夜行列車」と来て、「降りた時」から「雪」である。これだけ短いセンテンスで、視聴者を津軽の吹雪の中へと連れて行く試みに、見事に成功している。川端康成の『雪國』のようだ。
最初の3行、いや1行で、いかにして読み手を惹きつけ、放すことなく記事の中に連れ込むか----仕事を始めて間もない頃、ある編集長にさんざん叩き込まれた記憶がある。
その教えがきちんと生きているのかどうか、自分の文章を省みると甚だ疑問ではあるが、冒頭の言葉をひねり出す作業には、いつもそれなりに苦しんでいる。
作家の夢枕獏さんは、「よいアイデアを生み出す最良にして最も近道の方法は、その事柄について考えて考えて考え抜いて、鼻の穴から脳みそが出るくらいひたすら考えることである」と言っていたけれど、まさにそんな感じだ。
何もこれは文章に限った話ではなくて、写真やデザインの世界も同じだろう。
余談がさらに脱線してしまった。
そう、『津軽海峡冬景色』は、改めて聴いてみるとなかなかすごいのである。
もともと阿久さんという人は広告のコピーライターをしていただけあって、文字、言葉の選び方が絶妙にうまい。それも、大衆に迎合した臭さとかうまさがあって、いやらしいんだけれども、舌を巻いてしまう。
間借りなりにも、文章を書くことを一応は生業にしている身として、さらに言うならメディアという同じステージの上で(スケールの違いはあるにせよ)仕事をしている者として、大変おこがましく恥ずかしげもないことではあるのだが、その才能に触れて単に「すごいなあ」と感嘆しているだけでは済まされない、何やら焦燥の念のようなものを、無謀にも僕は感じてしまうのである。

◆真鍋島渡航◆

穏やかな瀬戸内の海を、小さな船はゆっくりと進んでいた。
まだ雨を含んだ色合いの雲が前方にたれ込めていて、海上のそこかしこには小さな漁船が散らかっていた。
薄汚れた窓の向こうに、さっきまで薄ぼんやりと見えていた四国の島影は、霧の中に消えた。
斜め前の席では、二十歳くらいの学生が、『アンネの日記・完全版』を一心に読みふけっていた。
北木島の港の近くに、真新しくて綺麗な白い校舎が見えた。
マスクをした一人のおじさんが自転車に乗って、誰もいない校庭をぐるぐるぐるぐると回っていた。
真鍋島に着いた時には、乗客は僕を含めて四人しか乗っていなかった。

(2002年12月9日発行『某処某人11』より)
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