wayside
某処某人06



東京・上野






 セーラー服のスカートをめくった時、背中の汗がパンツに落ちた。
 東京・上野。アメ横から一本入った裏通りの雑居ビル。
 リノリウムの床に膝をついて、僕はセーラー服のスカートの中をのぞいていた。
 女性型人形------俗に言う「ダッチワイフ」である。
 あるメディアの取材で、上野にあるオリエント工業という会社を訪ねていた。「その世界」では知らない人はモグリという、けっこう有名な企業なのだ。
 ダッチワイフというと、僕なんかのイメージでは、ぽっかり口を開けた人型の浮輪みたいなものを連想してしまうのだが、いやはやとんでもない。今日びのダッチワイフというやつは、すごいのである。
どうか面白半分、覗き見主義と言わず、しばしお付き合い下さい。けっこういい話なのです、これが。

小さな社名のプレートがかかった鉄製のトビラを開けると、いきなり白衣やセーラー服姿でソファに座っている人形達に出迎えられた。
あまりにリアルで、それなりにそそられなくもないその姿に、ぽかんと口を開けていると、
「今じゃダッチワイフとは言わないんです」
と、社長のT屋H夫さん が教えてくれた。細身の体に金縁眼鏡、びしっとしたスーツを着込んだ物腰柔らかなジェントルマン。彼こそが、「日本のダッチワイフの父」と呼ばれる(一体誰が呼んでいるんだ?)人なのである。
「じゃあ何て呼ぶんですか?」と訊ねると、
「ラブドール。うちじゃキャンディガールって言いますけどね」
ということである。
彼がダッチワイフ、じゃない、ラブドールと出会ったのは今から30年前、浅草でアダルトショップを経営していた時のこと。ある日、常連のお客からこんな苦情が寄せられたのだという。
「ダッチワイフが空気漏れする。何とかならないか」
なるほど、確かに人が上に乗っかるわけだから、何回も使用しているうちにビニールを張り合わせた継ぎ目の部分から空気が抜けてしまうのである。かと言ってガムテープなんかを貼って使ったのでは、どうも案配が悪いというか、こちらの気が抜けてしまう。
「あまり体重をかけないでお使いに……」
そう言いかけて、Tさんは言葉を飲み込んだ。
そのお客は、片足が不自由なハンディキャッパーだったのである。
「こんな体だから恋人はできないし、風俗店に行くお金もないとおっしゃってねえ」
そこでTさんは片っ端からメーカーに掛け合ってみたが、適当な製品がない。
それならばと、自社工場をおっ建ててオリジナル商品のラブドールを作ることにしたのだそうである。
苦労の連続だった開発の様子を、Tさんはていねいに説明してくれた。
全身に塩ビを使って腰の部分だけ発砲ウレタンにするとか、スポンジを使ってみるとか、ラテックスで皮膚感を出すとか、とにかく感触の良さと耐久性の兼ね合いが難しいのだそうである。
「日本の住宅事情を考えて、手足と頭部は取り外せるようにしました」
そう言ってバラバラになった人形を見せてもらったときはドッキリしたが、こうして分解できることで、たとえば好みの顔をいくつか揃えておいてとっかえひっかえ----なんてことも、可能なわけである。
うーむ、すごい。
いま一番の人気商品は、1体14万〜15万円の『まゆちゃん』と『アリスちゃん』だそうで、はかなげな顔をした10代の女の子といった風情。なるほど、人気の理由がわからなくもない自分が、ちょっとだけコワくなったりもするのである。
「へえー」とか「ほほおー」とか、照れ隠しでしきりに言いながら写真を撮っていたら、Tさんがこんな話をしてくれた。
ある日、事務所に中年女性らしき人物から電話がかかってきたそうである。話を聞いてみると、息子が脳障害をもつハンディキャッパーで、性欲はあるが自慰行為ができないため、母親が処理してやっているのだという。
「こういう話ってタブー視されているけど、結構よくあるケースらしいんですよ」
Tさんはそう言う。
やがてその息子も成長するにつれ、次第に欲求がエスカレートしてきた。いよいよ自らの身体を捧げなければならないものかと、その女性は大変悩んでいたそうである。
そんな折り、同社のラブドールを雑誌広告で見て、わらにもすがる思いで取り寄せてみたところ、
「とても満足した、すんでのところで近親相姦にならずに済んだと、泣きながら語ってくれたんですね」
Tさんは感慨深げにそう言った。
こんな話もある。同社ではオーダーメイドの製品も作っていて(1体百万円だそうである)、
「ちょうど今注文があって作っているのは、これなんですけどね」と言って見せてもらった人形は、某有名タレントそっくりで、思わず「肖像権大丈夫なんか?」といらぬ心配をしてしまったのだが、まあそれはいいとして、ある日、初老の男性が事務所を訪ねてきて、おもむろに言った。
「この顔で人形を作ってほしい」
差し出された一葉の写真は、縁が黄ばんで、色もずいぶん褪せた古いモノクロ写真だった。
亡くなった奥さんなのだそうである。
うーむ!
僕は不思議な感動を覚えてしまった。
もちろん、こうした美談が、全てを体現しているとは思わない。
阪神・淡路大震災の復興作業のさなかに、地元でソープランドがオープンしたところ、それまで横行していたレイプが激減したという、ある「一面」における紛れもない事実と同じ種類・ウェイトの事実があるにすぎない、とは思う。
それにしても、である。

All visible objects are
but as pasteboard masks.
Gregory Peck as Captain Ahab in
"Moby Dick"(1956)
 眼に見えるものは、すべてボール紙の
 仮面のようなものにすぎない。

『白鯨』という映画で、グレゴリー・ペック演じるエイハブ船長が言っていた言葉を、なぜか僕はこのときしみじみと思い出してしまったのである。

取材を終えて外に出ると、薄暮だった。
夕暮れのアメ横の喧噪が聞こえてきた。
上野という街は、僕にとって感慨深い。上京したての頃、ただ1人の知りあいがこの街でラーメン屋を営んでいた。
周辺の再開発に1人抵抗しながら、細々と続けていたその店が、今もまだあるのかどうか、知らない。その人がまだこの街に住んでいるかどうかすら、知らない。
それでもこの街を歩くと、頼る身内も友人もなく、地下鉄の乗り方も知らず、都会の人の歩く速さについていけなかった1人の地方出の大学生の姿を思い出す。
10年以上が過ぎ、その男も今じゃ肩で風を切ってノノとまではいかないけれど、まあそれなりに、東京という街に適合して生きている。
でも、本当のところは、上野の小さなラーメン屋に、毎週のように通いながら毎週のように道に迷っていた当時と、これっぽっちも変わっていないような気がする。
その頃はダッチワイフのスカートの中がどうなっているかなんて、到底知るよしもなかったけれど。
(2002年8月2日発行『某処某人6」より


photo&text by tokosemurayasu
(c)KosemuraEditorialOffice All Rights Reserved