wayside
某処某人05



2002年愛媛県内子町








クリント・イーストウッドが好きである。『ダーティ・ハリー』のシリーズは、彼が監督をし始めてからの方が、とりわけ好きだ。
何がいいって、あの徹底したナルシシズムがたまらないのである。自分で脚本・監督をしながら、とことん自分を格好よく見せる------夜霧の中を、44マグナム片手に現れちゃう、あのコテコテのヒーローぶりがいい。
最近、自分が読んで面白いなあと思った小説を彼が映画化したことが何度かあって、同じ本を読んでいるんだなあと、1人で悦に入ったりしている。
で、そんなことを思いながら、どこにいるのかというと愛媛県にいる。
雑誌の取材で、1日5本というメチャクチャなスケジュールで、しかもワケあって前日ほとんど寝ていない状態なものだから、もうホントにワケのわからない状態なのである。
松山市から宇和島市まで約100キロ、2時間ほどの車中は、疲れと暑さと眠気で、意識朦朧としていた。 
朦朧としながら、一瞬通り過ぎた看板に、急ブレーキをかけた。
「河内の屋根付橋」とあった。
内子町の県道を奥へ奥へと進んだ山あいの集落に、その橋はかかっていた。
杉皮ぶきで、幅2メートル、全長15メートル、かつては生活道と倉庫を兼ねていたムムと、立て看板の説明書きには書いてあった。
昔、橋を渡った先に材木工場があり、切り出した木材を保管する場所がなかったためにこの橋に積んだ。雨をしのぐために屋根をかけたのだ、という話を、通りがかったおばあちゃんに聞いた。
クリント・イーストウッド演じる『ナショナル・ジオグラフィック』誌のカメラマン、ロバート・キンケイドが、屋根付きの橋を撮影しに訪れた田舎で、メリル・ストリープ演じる農婦フランチェスカ・ジョンソンと出逢う物語『マディソン郡の橋』。いやあ泣きました。
2人の最後のシーン。雨の中、キンケイドがフランチェスカの車に向かって1歩、2歩と足を踏み出す。ともに行くのか、家族のためにとどまるのか、フランチェスカの心が激しく揺れる。車のドアノブにかかる手。でも、ドアが開くことはない。それを悟ったキンケイドは、雨に打たれながら、最後ににっこりと微笑んでみせて、ゆっくりときびすを返す。
微笑んでみせるのですよ! 
もう、鼻水が吹き出すほどに泣きました。
僕はこの映画は、『卒業』の中年版だと勝手に思っている。
『卒業』では、ダスティン・ホフマンが最後にキャサリン・ロスを教会からかっさらってしまうけれども、『マディソン郡の橋』では、互いが互いを想うがこそ身を引き、生涯その4日間の愛だけを心にとどめながら、2度とふたり逢うことなく生きていくムム青臭い、と言われるのを百も承知で、美しいなあと思ってしまうのです。
で、この時ばかりは自分もロバート・キンケイドになりきって、ニコンのカメラを肩からぶら下げて(サスペンダーはしていなかったけど)、屋根付きの橋を撮った。
そのうちどこかからフランチェスカが現れて、「アイスティーいかが?」と言ってくれないものか、あらぬ期待を抱いていなくもなかったけど、人どころか猫1匹現れることもなく、渋々、屋根付きの橋を後にしたのだった。


そこから向かった宇和島市では、フランチェスカより20歳くらい年上で、フランチェスカみたいに牛は飼っていないけれど、ミカンを作っているおばちゃん達に会った。
東京から取材が来るというので、みんなはりきって入念に化粧をしていて、微妙にスペルとか輪っかの角度とかが違っているシャネルのエプロンなんかを身につけて待っていてくれたのだった。
ここで飲ませてもらったみかんジュース。これが、今まで飲んだことがないくらいうまかったのである。
傷がついたり、表面が汚れたりしていて出荷できない温州みかんを、自分たちでしぼってジュースにしているという。だから、それぞれの家ごとにジュースの味が微妙に違っていて、もっと言えば1瓶ごとに違う。
「とりあえず味見して下さい」
そう言われて、グラスに注がれた。
いつものことなのだが、これが難しいのである。
みんながみんな、「どう?」という顔でじーっとこっちを見ている。
一口食べて、あるいは飲んで、「うーん、まったりとしていて、それでいてしつこくなくノノ」とか言うべきなのか、それとも「うわあ、おいしいですねえ!」と単純に驚いてみせるべきなのか、リアクションがとにかく難しい。後者の方が絶対に喜ばれるのはわかっているのだが、これはかなりの演技力を必要とするのだ。
正直な話、そんなにおいしくもない代物も中にはあって、そういうときは、ことのほか、つらい。
で、ミカンジュースである。
今回はすでに作戦を立てておいた。
グラスになみなみと注がれたのを、ぐいっと一気に飲み干そう。それで、うまい! と一言で決めてしまおう。
「はいどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ぐいっ、ごくっごくっごくっ……うま! あれ? 
言葉が出る前に瓶を引き寄せて、もう1杯注いだ。
ぐいっ、ごくっごくっごく。
そのときわかった。
本当にうまいものを口にしたとき、人は言葉なんて出てこないのだ。実生スイカのときも、そうだった。
それを言葉や文字にできるのは、一拍置いてからのことなのだ。
「これは……いやあ、うまいですねえ。全然ツンツンしないというか、ヒリヒリこないというか……あ、もう1杯いいですか? あ、すいません。……うん、うまい。何なんでしょう、このまろやかさは。全然酸味がなくて、甘くて、丸くて、そう、味が丸いんですね。で、こんなに甘いのに、後味ときたら、水を飲んだ後みたいにさっぱりしてるじゃないですか。あ、すいません、じゃもう1杯」
----僕は時々、言葉や文字というものが、いかに無力かと思う。たとえばこんなふうにすごく美味しいものや、あるいはたとえば心の底からすごく好きな人を前にして、胸の内の妙なる思いを言葉にちゃんと変換してそのまま伝えることは、きっと不可能だと思う。
そんな時には、言葉とか文字なんてものはいらないとも思うのだが、そういうわけにもいかないのが、こんな仕事のつまらないところでもあり、また、面白いところでもある。

Supercarifragilisticexpialidocious!
Julie Andrews as Mary Poppins
in "Mary Poppins"(1964)
 スーパーカリフラジャリスティック
 イクスピアリドシャス!

映画『メリーポピンズ』で、ジュリー・アンドリュース演じるメリー・ポピンズが、このとてつもなく長いナンセンスな言葉を、ものすごい早口で歌いまくるシーンがある。これを口ずさむと自然に楽しくなってしまうおまじないの言葉で、
「何て言っていいかわからない時に言う言葉なの」
と、作品の中でメリー・ポピンズが言っている。
今回、旅の最後に訪れたのは、興居島(「ごごしま」と読む)という、松山市高浜の沖合い2キロにある周囲20キロの小島だった。
港からフェリーに乗って10分ほどで、その気になれば泳いでも渡れるくらいの目の前に浮かんでいる。
9時30分に島に着いて、11時30分には戻らなければならなかった。
わずか2時間やそこらの取材なのに、島のおばちゃん達は農協の2階にある加工室で、10人分くらいの島料理を用意して待っていてくれた。
タコ飯にアワビの刺身にサザエの炊き物に小エビの塩焼きに……と、それはもう、見たこともないようなものすごいご馳走なのである。
でもそんなことよりも何よりも、僕がそこでいちばん感動したのは、1杯のヨーグルトだった。
手作りのビワジャムをぜひ食べてくれ、と言われて、このビワジャムを味わってもらうにはヨーグルトに入れて食べるのが一番おいしい、ということだった。
で、おばちゃんの一人が、商店までヨーグルトを買いに走って出て行ったのだが、30分くらい経って、息を切らして帰ってくるなり、言った。
「なかったあ!」
島に3軒ある商店を全部回ってくれて、それでもなかったのだと、本当に口惜しそうに言うのだった。
そうしたらそれを聞いていた農協の女の子が、「うちにありますよ!」と言うなり、だあーっと駆け出して行って(上司に断りもせずに)、口の空いた食べかけのヨーグルトを自分の家から持ってきてくれたのだった。
そこに濃厚なビワジャムを垂らして、「はい」と差し出された。
そのときの気持ちとその味を、言葉にできる技術は、残念ながら今の僕にはない。

フェリー出航の5分前を告げるサイレンが鳴って、荷物を担いで船に乗り込む僕を、おばちゃんたちが桟橋から手を振って見送ってくれた。
旅先で出会った人たちに、僕は「また来ます」とは、絶対に言わないようにしている。そんなことはこれまでの経験上できたためしがないし、でも言われた人はきっと待っていて、そして失望してしまうから。
だけど、このときばかりは、禁句が思わず出そうになった。
ぐっと飲み込んで、桟橋のおばちゃんたちに手を振り返したとき、がらにもなく僕はちょっと泣きそうになった。
スーパーカリフラジャリスティックイクスピアリドシャス!
(2002年6月24日発行「某処某人05」より


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