wayside
某処某人04



2002年鳥取県倉吉市








「わーい」
 と、思わず言ってしまうような機会というのは、フツーに暮らしていたらあまりないような気がする。
 歳を経ていればいるほど、大人であればあるほどそれはなおのことで、でも、その稀少なチャンスの中で、たとえば真夏のくそ暑い盛りに、
「ほーら、スイカだよ」
 と、真っ赤に熟れたのが三角形に切られて、お盆か何かに載って出されたりしたら、思わず、
「わーい」
 と言ってしまう確率は、けっこう高いような気もする。
 口の中が水けと甘みでいっぱいになって、さっきまで暑い暑いと言っていたくせに、急に風流に夏だなあなんて思ったりして、聞こえもしない蝉の声までちょっと聞こえたような気がして、小さい頃、縁側に座ってスイカにかぶりつきながら、種を庭先にぷっと吹き出したことなんかを思い出したりする。しばらく経ってその種が小さな殻をかぶった双葉の芽を地面から出して、ちょっとずつ大きくなっていくのを、夏休みの間じゅう毎日楽しみにしていたけれど、2学期が始まった途端すっかり忘れてしまって、結局その芽が成長して本当に実を結んだのかどうかは、最後までわからずじまいだったこと------なんかも、思い出したりする。
 鳥取県倉吉市。
 朝5時のスイカ畑に立って、収穫したばかりのスイカにかぶりついていたら、ぼんやりとそんなことを思った。
 頭の上のはるかもっと上の方で、雲雀が鳴いていた。
 間断ないその声の間を縫って、郭公の声が聞こえた。
 中国山脈の頂から顔をのぞかせたばかりの太陽が、一面のスイカ畑に赤い光を投げかけていた。
「収穫? 朝の5時くれえからだなあ」
 と、前日の夕方、スイカ農家のK本さんが言ったのを聞いて、内心「うへえ」と思いながらも、翌朝、不承不承、慣れない早起きをして、こうしてやって来たのだった。
 なだらかな丘陵地帯に、スイカのトンネルとビニールハウスの列が、優雅にうねりながらどこまでも続いていて、所々に森があって一旦そこで途切れて、その先にまた銀色のスイカ畑が続いているのだった。
 収穫したスイカを軽トラに運んでいる最中、健志さんが誤って一個、割ってしまった。しめた、と思ったら、やっぱり
「おお、食えるぞ」
 そう言って包丁を取り出し、ざっくざっくと切り分けて差し出してくれた。
がぶっとかぶりついた。
 ----ああ、スイカって幸福な食べ物なんだなあ、と思った。
 別にスイカが幸福なわけじゃなくて(そんなこと一体誰にわかる?)、スイカを食べる人間が、幸福なのである。スイカを食べる瞬間に不幸な人というのは、あまりいないような気さえする。たとえその前後にいくら不幸であったとしても。
 どうしてそんなことを思ったのかというと、そのスイカがたまらなくうまくて、その瞬間、僕は間違いなく幸福だったからだ。
「実生スイカ」というのだそうである。
 僕らがスーパーで買って食べる(最近はそういう機会も少なくなったけれど)スイカというのは、単純に種を植えて蔓が伸びて実がなってできたもの、ではない。苗に「接ぎ木」ということをしてやらないと、病気とか害虫とかにやられてしまって、ちゃんと育ってはくれないのだそうである。病気などに強い植物を、文字どおり「接ぎ足す」わけだけれど、その接ぎ足す木は、ユウガオが主なのだという。カボチャでもよいが、それだと筋っぽくてどこかカボチャっぽい感じのスイカになってしまうそうだ。この接ぎ木をしないと、いいスイカは、というか、スイカそのものができない場合が多い。
 でも、そもそもスイカというのは、種を蒔いて芽が出て蔓が伸びて花が咲いて受粉をすれば、ちゃんと実がなるものである。
 その場所が、それまで一度もスイカを作ったことがない土か、もしくは徹底した土壌消毒がなされていれば、の話だが。
 そういう条件をクリアして、種からできたスイカのことを、「実生スイカ」という。
 何でもこれが滅法うまくて、「子どもの頃に食べた懐かしい味」がするとか何とか言われている。
 でも、とても難しいので、産地としてそうそうできることじゃなくて、ここ倉吉市では、スイカの苗にスイカの木を接いで作っている。それでも病気などに弱くて大変らしいのだが、実生スイカにかなり近い味のスイカができるのだそうだ。
 だから、厳密に言えば「実生スイカ」ではない。
 それにしても、やたらと評判が良くて、値段も高いこのスイカ、本当なのかねえと、僕は半信半疑だった。
 地元の人にどこがどううまいのかと聞いても、「よう言えんけど、とにかく違う」とか言うばかりで、きちんとした説明がない。だいいち、「子どもの頃に食べたあの味」とか、「懐かしい味」とかいう表現の仕方が、何かしらうそ臭い。
で、とにもかくにも畑で一口かぶりついてみたのである。
 ----ああうまい、と心の底から思った。
 それまでの腹黒い気持ちが、あっという間に霧散してしまった。
 どこがどううまいのか----確かにそれを言葉にするのは難しい。難しいけれども、一応それを生業にしている身ではあるので、やってみるとする。
まず、歯触りが違う。
 柔らかくて、ふわっとしていて、きめが細かくて、繊維質がほとんど感じられない。
舌で果肉を上顎の裏に押しつけると、気持ちよくくだけて、溶ける。
 気持ちよいのである。
 真っ赤な果肉に前歯が入る瞬間が、気持ちよい。
 奥歯でしゃくっしゃくっと噛んでいるその間じゅうずっと、気持ちよい。
 口の中に溢れた汁が、呑み込もうとせずとも自然に喉を通って落ちていく瞬間も気持ちよければ、噛んだ果肉の残滓をごくりと呑み込む、その瞬間まで気持ちよい。
 快感、なのである。
 このエクスタシーは、一切れのスイカを食べ切るまで、ちゃんと持続する。
 普通、スイカを食べる時のことを思い出してみると、出された瞬間とそれから一口、二口、三口目くらいまでは嬉しくて幸せだけれども、後は惰性というか、まあ滅多に食えるもんでもないし食っておくかというような感じで食べる。それが二切れ、三切れ目ともなるとなおのことだったりするのだけれど、このスイカに関しては、そうじゃないのです。
 そもそも、甘ったるくない。
 これが糖度の上でのことなのか、食味の上でのことなのかはわからないが、とても上品な甘さで、果汁が多くて、それが手に滴り落ちても、ベタつかない。
もっとすごいことには、皮に近い部分までちゃんと同じ甘さが続いていて、しかも、である。赤い果肉と緑の皮の間の白い部分があるでしょう、そこまでうまいのですよ。
 普通のスイカなら、皮に近い部分なんかをかじったら、青臭くて何だか昆虫になったような気分になってしまうけれども、このスイカときたら、赤い果肉を食べきった後、白い皮の部分をかじると、水けたっぷりのその淡泊な味が、口の中に残る甘さを気持ちよく昇華させてくれるのである。
 で、すっきりしたところでまた次の一切れに手を伸ばす----とまあ、めくるめく快楽、官能、エクスタシーの際限ない輪に取り込まれてしまうというわけなのです。
 この味は、少年の頃、クーラーも水洗トイレもサッシの窓もなかった家の縁側で、上半身裸でスイカにかぶりついていた、あの記憶を呼び覚ます。
そうだ、あの時食べたスイカには、こんなにワクワクした気持ちや、幸福な感じや、ものすごくピュアな歓びみたいなものが、まぎれもなくあった。
 今はどうなのだろう?
 スイカの味が変わってしまったのか、僕の味が変わってしまったのか、それはわからない、たぶん後者だと思うけれども、考えてみれば、食べるという行為にはこんな純粋な歓びがあったのだ、いや、あるのだ。
「まだあるぞ」
 畑の真ん中に突っ立って、スイカにかぶりついて、取り留めのないこんなことやあんなことを思うともなしに感じていたら、K本さんが、もう一切れ差し出してくれた。
「まだ12回しか作ってねえな」
 と、この人は言っていた。スイカを作り始めて12年ということだ。
「どうですか、スイカ作りは?」
 と訊ねたら、
「面白えよ」
 と言うのである。
 思わず、
「え、面白いですか?」
 と訊き直したら、
「いや、大変」
 と言って、満面に屈託のない笑みを浮かべるのである。
 そりゃそうだ。3・2ヘクタール----本人は「キリがいいから3ヘクタールってことにしといて」と言っていたが----のスイカを作っているのだ。3・2ヘクタールといったら、えーと1平方メートルが0・001ヘクタールとして……3万2000平方メートルである。
 それを「まだ12年」、要するにもっともっと作りたいんだと言えて、しかも「どうか?」と訊かれて(訊く方も訊く方だが)「面白い」と言っちゃう。
 僕は心底、すごいな、と思った。
 こんな人がいて、こんな人が、仕事をしているのだ。その成果がこのスイカなのだ。
 そりゃうまくないわけがない。
 僕は、自分の仕事を愛する人を、心から尊敬する。どんな仕事をしている人でも----写真を撮っている人でも、本を作っている人でも、髪を切っている人でも、指圧をしている人でも、ホテルの受付をしている人でも、農協に勤めている人でも----その人がスイカを作っていようといまいと、自らの仕事に誇りを持って正しく打ち込んでいるなら、心から格好いいと思うし、美しいと思う。

A man takes a job, you know,
and that job becomes what he is.
Robert de Niro as Travis in "Taxi Driver"(1976)
ある仕事につけば、その仕事が、その人自身の姿となる。

『タクシー・ドライバー』という映画に、そんな台詞があった。
 望むと望むまいと、人は仕事になり、仕事は人になるのだと、僕もそう思う。
 もちろん、そうじゃない人もいるだろう。仕事以外の時間、趣味や余暇こそが自分なのだ、という人も。それを否定する気は毛頭ないし、それもまた生き方だとは思うし、でも僕はきっとそういう人を尊敬できないし、好きにもなれないだけのことだ。だって、どんな仕事にだって、愛すべき部分、誇りにできる部分、楽しい部分というのはあると思うし、それを見出せる人というのは、誰だってすごいと思うから。
 僕はといえば、自分の仕事を愛しているし、とことん楽しんでいるし、「どうか」と訊かれたら、岸本さんのように「面白いよ」と言い切ることはできると思う。
 でも、果たしてその成果が、この実生スイカに匹敵するものを生み出しているかどうかと言われたら、とっても自信がなくなってしまうのである。

(2002年6月17日発行「某処某人04」より




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