wayside
某処某人02
2002年
山口県福栄村
鴨が、目の前を横切った。 ひょこひょこと歩いては立ち止まり、横目でこちらをうかがう。あとをついていくと、また歩き出す。 山口県の福栄村という山村に来ている。人口2677人、高齢化率38・2%(2002年4月末現在)。ある雑誌の仕事で村の写真ルポをするために(エラソーですね)やって来たのだが、さてどうしたものか、考えあぐねていた。 何せ、写真を撮ろうにも、話を聞こうにも、人がいないのである。小さな神社の石段に腰を下ろして煙草をすーはーしていたら、鴨がやってきた。 「お前は鴨か、それとも家鴨か?」 鴨の後ろ姿にそう声をかけてみた。そうしたら、 「家鴨だよ」 と、返事が返ってきた。 ぎょっとして振り向いたら、農作業小屋から一人のおじさんがのっそりと現れた。 「もう一羽いたんだけどな、やられてしもうてな」 挨拶もなしにそう喋り始めた。 「へえ、野良猫ですか?」 呑気にひょこひょこと歩き回っている家鴨を見ながら聞いてみた。 「いや、キツネかイタチだな」 「ははあー」 二人並んで小さな池のふちにしゃがみ、煙草を吸った。 「この池な、おれが自分で作ったんだ」 「そうなんですか」 「去年まで鯉を飼っとったけど、やめた」 「どうしてですか?」 「金がかかる」 「はあ」 田植えが終わったばかりの田の水面を、風がすーっと通りぬけた。真っ青な初夏の空が、新緑の山の上にのっかっていた。 いい日だ、と思った。 「あんた誰?」 思い出したように、おじさんがこっちを向いた。ええ実はこれこれこういうモンなんですと、こちらも思い出したように自己紹介する。 おじさんは佐々木さんといって、僕と同い歳の長男がいるのだと言った。「馬鹿息子」は学校を卒業して、新潟の女性と結婚し、新潟に行ってしまったんだと言った。僕も新潟の出なんですよと、申し訳なくもないような口調で言ったら、ちょっと驚いたような顔をして、 「まあ、寄ってけ」 と言って立ち上がった。 お邪魔して、冷たい味噌汁をご馳走になった。「鷹の爪」という恐竜の足みたいな形をした貝が入っている味噌汁で、その貝はおじさんが自分で舟を出して取ってきたのだという。 この時期にしか取れなくて、大層うまいんだとおじさんは誇らしげに言った。歯ごたえがあって磯臭くて、僕にはおいしいのかどうかあまりよくわからなかったけど、 「お昼寝してたところなんですよ、すいませんねえ」 そう言って寝癖でくしゃくしゃになった後ろ髪をなでつけながら、お椀に盛ってくれる奥さんのすすめるままに、三杯いただいた。 息子さんは東大の修士過程を卒業した後、今は新潟の大学で教鞭を取っているのだという。 教員とか医者とか、弁護士とか政治家とか、それから作家とか、「センセー」と呼ばれる職種の人間で、これまでまともな人物に出会ったことがあまりない僕としては、何とも言いようがなくて困ったけれど、まあ立派な先生になってほしいですね、と言ったら、おじさんが「ふん」と鼻をならした。 居間には、息子さんが学生のときに論文で優秀賞をもらったときの賞状が、ご先祖様の写真の隣に飾ってあって、論文の題名を見たら「今、日本の農業がおもしろい」とあった。 「おもしろいなら、自分でやればいいじゃないですかねえ」とは、さすがに言えなかったけれど、実家も故郷も喪失している身としては、帰れる土地と家と、そして人がいる彼----顔も名前も知らない同い歳の新潟に住んでいる彼のことが、ほんのちょっぴりだけ、羨ましく思えた。 おじさんはさんざん「馬鹿息子」のことをけなし、愚痴り、あきらめているような口振りだったけど、今は奥さんと二人暮らしのその家は改築したてのぴかぴかで、いつか息子が嫁を連れて帰ってくる----そんな老夫婦の願いを黙して語っているようで、僕はちょっと哀しい気分になった。 2時間ほど茶呑み話をし、「鷹の爪」の味噌汁で腹ががぽがぽになったところで、二人と一羽に見送られて、おじさんの家を辞去した。 田植えの時期の週末ということもあって、山肌に段をなす棚田には、よおく見ると農作業をしているらしき人の姿がちらほらと見えた。 おじさんとのいい出会いに触発されて、普段はあまりやらないことだが、今回は出会う人片っ端から声をかけて写真を撮ってみようと思った。 でも、明らかに村のモンでない妙な男が、カメラ片手にあぜ道を歩いてきて、「精が出ますねえ」とか「いい天気ですねえ」なんて言うものだから、ものすごく不自然なのである。みんなぎょっとして、何だこいつはという顔をして、カメラを構えるとみんながみんな、顔を隠す。 そりゃそうだ。自分が逆の立場だったら同じことをする。 それでも喋っているだけならみんなけっこう楽しそうで、とくにおばあちゃん達はとても親切で、話している内容の八割くらいは理解できなかったけど、僕もすごく楽しい思いをさせてもらった。 お喋りばかりしていて写真を撮るのを忘れて、後でフィルムが全然進んでいないことに気づいて青くなったりもしたけど、まあこれはこれでいいじゃないか、と思えるような日なのだった。 こういう何でもない村とか街を歩くのが好きだ。 仕事柄、毎月のようにあちこちを旅していて、出会う人には決まって「いいですねえ、全国各地いろんな場所に行けて」と言われる。そのたびに「そうですね」と答えるようにしている。 「いいですねえ」が、たとえばいろんな観光地を見て回ることができて、という意味ならまったく逆で、そういう場所には行ったためしがない。食指が動かないというか、足が向かないというか、無意識のうちに避けている。 きっと、観光地というところでは、そこに暮らしている人の生活があまりよく見えない、というか見えないように意図されて造られている----ような印象を受けるからなのだと思う。 一見さんのための街というのは、そこに一期一会の美学でもあれば気持ちがいいのだけれど、たいていは何というか醜悪さを感じてしまうようなところが多くて、嫌いなのである。 旅先で僕が触れたいのは、そこに住む人たちのフツーの暮らしなのだと思う。洗面器にタオルとシャンプーをつっこんだおじいさんが、駅前食堂でビールをあおってプハーッとやっているところとか、明らかに70歳は過ぎているであろう「ママ」が、喫茶店で出勤前のやきそばをかきこみながら「景気がいいのはパチンコ屋ぐらいなもんよねえ」と、くだを巻いているところとか、自転車を引っ張りながら線路沿いの道を歩く高校生のカップルの背中に、フェンスの形をした夕陽の影が落ちているところとか。 When in Italy,you should meet Italians. Isa Miranda as Signora Fiorini in "Summertime"(1955) イタリアへ来たら、イタリア人に会うべきです。 映画『旅情』のなかで、ヒロインのジェーン(キャサリン・ヘプバーン)は、滞在先の宿の女主人にそう言われ、小型の16ミリカメラをもってベニスの街に出る。そこで骨董品店の主人レナート(ロッサノ・ブラッツィ)と出会い、束の間の恋に落ちる。 なかなか含蓄に富んだ言葉だなと思うし、僕の旅はといえば、特別そう心がけているわけでもないけれど、何となくそういう方角に行っている感じはある。 ところで、似たような言葉に「When in Rome,do as Romans do」(郷に入りては郷に従え)という格言があるけれども、これは僕には到底無理な話である。 なぜって、山のてっぺんまで続く棚田のあぜ道を、たったかたったかリズムよく歩くおばあさんの後ろ姿を追って、負けじと駆け上っていた日には、足腰が立たなくなって翌日エライ目に遭うからである。 (2002年5月27日発行「某処某人2」より) |
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