wayside
某処某人01

2002年
広島県尾道市


 尾道に着いたら、雨だった。
 この街は以前二度ほど訪れていて、いずれも素通りのような旅だったので、今回は歩き尽くそうと決めていた。
 雨に濡れた石段の街というのも味わいがあるかなあと思い、ホテルで傘を借りて外に出たものの、やっぱり雨は嫌いなのである。で、気の向くまま足の向くままにぶらぶらと歩くのは、結局いつものようにアーケードのある商店街なのだった。
 尾道といえば、かつては正岡子規や林芙美子、志賀直哉などの文人が愛した街、最近は小津安二郎(最近でもないか)、新藤兼人、大林宣彦などの映画監督の作品に出てくる街としても、知られている。
 山陽本線の線路を挟んで、南が海で北は山。海岸線と山肌がこんなに迫り合って美しく両立している街というのも、他に少ないように思う。
 文人が愛したのはもっぱら坂道と石段が続く山肌の街並みだが、僕はというと、のらりくらり港に面した商店街を歩いているのだった。
 市役所の向かいに、「おのみち映画資料館」という建物があった。小さな館内には、小津監督や新藤監督らの作品のスチール写真や年表、往年の映画スターが居並ぶポスターなどがずらりと展示されていた。
 終生「家族」というテーマにこだわり続けた小津監督の作品は、きわめて希薄なというか複雑な家族関係の中で育った者としては、あまりに肉薄し過ぎていて好きじゃないけれど、50ミリの標準レンズでローアングルから切り取る画面の作り方は、好きだ。
 ちなみに僕が普段街歩きで使うニコンFM2というマニュアルカメラについているレンズも、もっぱら50ミリの単焦点。人の目線に一番近いこの距離感がいい……なんて知ったようなことを言うけど、これは尊敬する写真家、丹野清志さんの受け売りです。
さて、気がつくと、映画資料館で三時間が過ぎていた。ちらほらと観光客がやってきては、「大したもんがないわねえ」なんて言いながら10分くらいで出ていき、また別の客が入ってはすぐに通り過ぎていくような場所で、一人飽かずに行ったり来たりしては、へえーとかほおーとか言っている変な男に、最初は横目で様子をうかがっていた受付嬢も、次第に関心をなくしてしまった。
 何が楽しいって、ここには古今東西いろんな名画のパンフレットが、当時のまんまずらりと揃っているのです。
『ある愛の詩』のアリー・マックグロウとライアン・オニール。『いちご白書』のブルース・デイビソンとキム・ダービー。『フレンズ』のアニセー・アルビナとショーン・バリー----古びたパンフレットの懐かしい顔に、ついつい足が止まり、手が止まる。
 ビージーズの名曲が心に沁み入る『小さな恋のメロディ』は、71年公開。99年に解散したスリーピースのロックバンド、Blankey Jet Cityのボーカルにして稀代のギタリスト、浅井健一君が大好きな映画で、彼は12歳のときにこの作品を観て以来、精神年齢がストップしたままだと言っていた。
 僕の精神年齢も、たぶんそれくらいからあまり変わっていないような気がする。
『イージー・ライダー』で、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが腕時計を投げ捨てるシーンに影響されて、しばらく時計をしていなかったんですよと、新宿の酒場で語っていたのは、写真家の岡本央さんだった。
『卒業』のダスティン・ホフマンは、若い。彼はこの映画が初主演作だったのだ。花嫁姿のキャサリン・ロスを教会からかっさらってバスに飛び乗るラストシーン。一見ハッピーエンドのようだけど、あの映画の本当のラストシーンは、もっとすごいリアリティに満ちている。
 バスの後部座席でひとしきり笑い転げた後、不意に真顔になり窓の外を見やる若い二人の表情は、一分先の未来の前に立ちすくみ、不安と恐怖で押しつぶされそうになっていた。
 映画資料館を出ても、雨だった。
 再びアーケードの下に潜り込み、目についた喫茶店に入る。
「コロッケカレーとコーヒーを下さい」
一人旅を続けていると、一日のうちに発する言葉がこれくらい、という時がままある。そういえば今日もそうだ。
 客は僕だけ。傍らに置いてあった中国新聞を手に取ると、四段ぶち抜きの記事タイトル「傘で顔刺され死亡」の文字が目についた。
「廿日市で50代の男性が口論の末、傘で顔を数ヶ所刺され死亡」----まるでミステリーかハードボイルドの世界じゃない。テロリストが航空機でビルに突っ込む時代、フィクションはノンフィクションの前に、なす術を知らず立ち尽くすばかりだ。
 店のおばちゃんがカレーとコーヒーを持って来た。「怖い世の中ですねえ」なんて話しかけようとしたら、目を合わせずにそそくさと立ち去ってしまった。
 新聞を置いて、カレーを頬張る。うん、ボンカレーと冷凍コロッケ。こうこなくっちゃ。
 再び新聞に目を落とす。なになに、容疑者は逃亡中、へえー。目撃者によると20〜30代の男で、身長170センチ前後、黒い上着、ふーん。
 ふと視線を感じて顔を上げたら、店のおばちゃんがカウンターの陰で慌てて目を逸らした。
 20〜30代、身長170センチ前後、黒い上着……なるほど、ぴったし当てはまるのである。学生でもサラリーマンでもなさそうで、観光客といった風でもない、どうも何だかよくわからないヨソモノの男が、夕方の中途半端な時間に喫茶店でコロッケカレーなんか食っていたら、そりゃ疑われもしようというものである。

 何だか街歩きの気分がすっかり失せてしまった。
It's a great big beautiful world out there,
and here I sit,sucking on popcicles.
Wolfman Jack in "American Graffiti"(1973)

----外には広大で美しい世界がある。
だがおれときたら、こんなところに座って
アイスキャンデーをしゃぶってる----

 73年の映画『アメリカン・グラフィティ』で、ウルフマン・ジャックが言った台詞だけれど、僕は尾道の喫茶店の隅っこに座って、冷凍コロッケのまだ半分凍っているところをかじっていた。
(2002年5月22日発行「某処某人01」より)





photo&text by tokosemurayasu
(c)KosemuraEditorialOffice All Rights Reserved