Sketch Notes09
旅の雑記帳


羽田空港








 たとえばこの一文は、山陰に向かう飛行機の中で書いている。
 なぜだかわからないけれど、飛行機が好きだ。見るのが好き。空港のロビーで珈琲を飲みながら、離着陸する機体を飽きもせずに眺めたりしている。
 笑うことなかれ、飛行機には表情があるのだ。
 滑走路を助走し飛び立とうとする飛行機は、いかにも飛ぶ気満々という感じで、顔つきがキリッとしている。離陸の順番待ちをしている飛行機は、ちょっと緊張気味。着陸したばかりだと、長旅を無事に終えてホッとしてるようだし、夜、格納庫に入ろうとしているヤツは、何となく翼がクタッとしていて、疲れたような顔。
 こんなことを言うと、駅のホームの端っこで時価五〇万円のキャノン製超望遠レンズを構えているケミカルウォッシュジーンズの「鉄道オタク」の類ではないかと思われそうだけれど、そんなことはない。断じてない。ただ単に、眺めているのが好きなだけ。・・・それがオタクか?
旧 友

 そんなわけで、今回はヒコーキのお話。
 毎度のことながら、飛行機に乗るたびに感動することがある。それは、離陸する直前、滑走路を走り始めた飛行機に向かって、整備士の人が手を振るあの瞬間だ。
 以前、日本雑誌協会の羽田空港記者クラブに所属していた時、全日空の大川戸さんという整備士の方と親しくなった。その時に色々訊いたのだが、飛行機の整備士というのは、無茶苦茶大変な仕事らしい。「3Kの代表格ですよ」と大川戸さんは穏やかに笑うのだが、細かい部品を扱っているために手袋を着用しない彼の手は、いつも油で真っ黒だった。
 たとえば航空機は胴体が丸いため、作業の足場を組むことができず、外観の整備は可動式の作業台に乗り込んで行うのだが、
「作業台は常に機体から離しておくんですよ。近づけすぎると、ぶつかって傷がついてしまいますから。そこから身を乗り出してやるんですが、落下して大ケガする整備士が結構多いんですよね」
 一番辛い作業は何ですか? と訊ねると、「そりゃ燃料タンクの掃除ですね」と言う。燃料タンクというのは、つまり翼である、四〇センチ×二五センチという小さな出入口から翼の中に入り込むのだが、入口も狭ければ当然内部も狭い。しかも燃料から発する有毒ガスが、常に充満しているそうだ。だから整備士は、外気を送り込むホースをつけたマスクと、防塵眼鏡を着用して作業をしなければならない。
 とにかく、危険と隣り合わせの仕事である。
 けれどもこうして一回一回のフライトごとに、整備士の手によって丁寧にメンテナンスされた機体というのは、とても長持ちをするのだという。
 大川戸さんと話していて、忘れられなかった言葉がある。
「整備士ってね、自分が整備に関わった旅客機にはとりわけ愛着があるものなんですよ。その機体に寿命がきて引退した後も、行方が気になったりして。どこかの国のどこかの航空会社で元気にしていてほしいなぁ、なんて思ったりするんですよね。もしも偶然、どこかでその『旧友』と再開するようなことがあったら、その時の感激はたぶん、言葉にできないだろうなぁ。これってヘンですかね」
 いや! 全っ然ヘンじゃありませんよ、よくわかりますよっ! と僕はその時、大川戸さんが引くくらい力一杯、返事をした。
 そんなことを思い出しながら、動き始めた飛行機の窓の外を見る。機体に向かって手を振る整備士の人は、帽子を取って最後に深々と礼をした。

スペシャルツナサンド

 整備士に見送られ、滑走路を疾駆して「ヨイショ!」という感じで飛び上がる飛行機。ギューンと空に向かい、ガタガタと機体が揺れる時、「おお頑張ってるなあ」と思う。
 機内では、僕はいつも非常口座席(足元が広いので)か、翼の上の座席に座る。
 変幻自在に動く飛行機の翼は、いつ見ても飽きないのである。主翼の下から小さい羽根(フラップ)が後方に一枚ずつぐぃーんと伸びたり、普段は主翼の下に折り畳まれている前方の翼が、突然「出動命令」を受けて、ぐるっと回転して下方に伸びながら折れ曲がっていったり、まるで戦闘ロボットが変身しているみたいで、なかなか楽しい。ちなみにこの主翼は、上下に八メートルもしなることがあるという。結構柔らかいのだ。
 翼の変身ぶりをひとしきり眺めて気が済むと、今度は機内を観察する。客室乗務員の仕事ぶりや互いの微妙な人間関係など、これも見ていて飽きないものだ。僕が機内で手作り煙草を巻いている時は、ほぼ間違いなく話しかけてくる。明らかに薬物(もしくは劇物)所持を警戒してのことだろうけれど、無理矢理の自然体でさも個人的に興味をもったかのように声をかけるその演技力が、なかなか涙ぐましい。以前、空港のロビーで煙草を巻いていたら、犬を連れたガードマンがやってきて、これはちょっとシャレにならなかったけれど。
 そういえばある時、離陸の時に居眠りをしている乗務員がいた。後で話しかけてみたら、ひどく心外な顔でこんなことを教えてくれた。以下、その時の再録。
「君、さっき居眠りしていなかった?」
「え? し、していませんよ! いつですか?」
「離陸する時」
「----ああ、それはですねお客様、STSの関係で」
「STS? ・・・スペシャル・ツナ・サンド?」
「(完全無視)航空機事故の発生確率は離陸後の三分間と着陸前の八分間に集中しているんです。パイロットや客室乗務員はこの時間を『魔の十一分間』と呼んでいて----」
「魔の十一分? 何かいいね」
「別によくないですそれで私達乗務員はこの離着陸時の十一分間に『サイレント・サーティー・セコンド』を義務づけられているんです」
「さいれんとさーてぃーせこんど?」
「そうです」
「寝るの?」
「ですからっ万一緊急事態が起こった場合どのような行動をとるべきか、一連の作業を頭の中で三十秒間、眼を閉じてイメージするんですっ」
 眼の下のほくろを引き攣らせながら早口で説明し、さっさと立ち去ろうとするその乗務員をさらにつかまえて、僕は前々から確かめてみたかったある「噂」についても訊ねてみた。
「あのさ、トイレの便器で内臓を吸い取られて死んだ人がいるって本当?」
「はぁあ? そんなこと有り得ないと思います。失礼しますっ」
 彼女は眼の下のほくろに不快と軽蔑を集中させ、足早に通路を去っていった。失格。実はこれはさる筋から仕入れた実話である。後日、全日空の大川戸整備士に訊ねたところ、「小瀬村さんよくそんな話を仕入れてきますねえ」と苦笑しつつ、こう説明してくれた。
「航空機のトイレはバキューム式で、汚物タンクをつなぐパイプが機外に通じる構造になっているんですよ。普段はパイプのバルブは閉じているんですが、汚物を流すときにフラッシュボタンを押すと、バルブが一時的に開く仕組みなんですね。バルブが開いた瞬間、機内外の気圧差(機内は約〇・八気圧、機外は〇・二気圧)のために、便器の中の汚物が空気と一緒にパイプを通り、猛烈な勢いで吸い出される仕組みなのです、おそらくその不幸な事故に遭われた方は、体格のよい人だったんでしょうね。つまり、便器に腰かけた時、大きなお尻がO型便座の穴を全部ふさいでいたと思われます。それで、座った状態のままフラッシュボタンを押してしまった。すると一瞬にして便器のなかは真空状態になりますから、内臓が一緒に吸い込まれてしまった、と・・・」
 ちなみにこの事故は、日本で起きたものではない。さらに付言すれば、現在この問題はすっかり解消されている。つまり、便器の中が密閉状態になってしまったのは、便座がO型だったからなのだ。現在、国内線の便器は全てU型になっているため、万一座ったままフラッシュボタンを押しても、そんな事態にはならないのでご心配なく。
 ----と、そうこうしているうちに着陸態勢に入ったようだ。ヒコーキについてはまだまだ書きたいことが山ほどあるのだけれど、スッチーが厳しい顔で睨むので・・・うん? あの人、どこかで見たことがあるような・・・。
 あっ! あのほくろ----。
「お客様パソコンしまってくださいっ」

(2005年11月14日発行『TALEMARKET』vol.27より)




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