Sketch Notes06
旅の雑記帳


島根県益田市








 国道沿いの小さな看板が、目に留まった。
「日本海に沈む夕陽の宿」
 東西に長い、本当に嫌になるくらい長い島根県の国道九号線を走っている。走行距離は二〇〇キロを越え、いい加減うんざりしていた。
 路肩に車を停めて一服。見上げる空は晴れ渡り、眼下の海は凪のように穏やかで、きっとこんな日は落陽もことさら美しいに違いない。
 予約していたホテルをキャンセルした。
 車に乗り込み、来た道を引き返す。宿の案内看板に従って脇道に入ると、小さな漁村の入り組んだ路地に迷い込んだ。
 速度を落とし、エアコンを切って窓を開ける。濃密な潮の香りが室内に流れ込む。
 波がゆるやかに岩場を洗い、小さな港に古ぼけた漁師小屋が、夕陽の残照を受けてぼんやりと佇んでいる。
 港を見下ろす岬の突端に、宿があった。
 シーズンオフの平日、客は一人。部屋に荷物を放り込み、カメラを持って外に出た。
 陽はまさに暮れかけ、水平線に溶けた落日が空と海に朱色を流し込んでゆく。
 刻一刻と変化する色を追っていたら、あっという間にフィルムがなくなった。予備も使い果たした。買いに行こうかと思ったけれど、何だか面倒くさくなってやめた。
 岩の上に腰を下ろし、沈む夕陽を眺める。野良猫が二匹、嬌声を上げてじゃれ合っている。控えめに響く波の音と、ぽんぽんぽん----という舟の音。どこか遠くの方で、ごーんと鐘が鳴る。
 水平線の向こうに陽がすっかり隠れた後も、まだぼんやりと海を眺めていたら、背後で足音がした。振り返ると宿の主だった。
「今日は最後まで隠れんかったねぇ。今年に入って三回目じゃ。たいがいは雲や黄砂に隠れて途中で見えんようになってしまう」
「へぇ……」
「あんたついとるね。日頃の行いがええんじゃ」
 それは絶対にあり得ない。主は僕のカメラを見て、
「ええ写真、撮れた?」と訊ねる。
 一応頷いておく。でもこんな時、僕は決まっていつも、映像という表現手法の無力さを痛感している。
 主は夕食の支度が整ったことを告げると、宿に引き返していった。
 海の見える食堂でぽつんと一人食事をすませ、浴衣に着替えて風呂に向かった。古びた旅館の廊下をスリッパでパタパタと歩くこの感触が、僕はいっとう好きだ。
 岩で組んだ小さな露天風呂には仕切りも塀もなくて、これじゃ丸見えじゃないかと思いながら、まあいいやとざぶり入る。湯舟に浸かってなるほど得心した。眼の前には海しかなくて、どこからも隠す必要などないのである。
 遠い水平線の端っこ、暗い空と暗い海を隔てるあたりに、小さな漁り火が瞬いている。
 漆黒の海の上を、黒くて太い線がゆっくりと盛り上がり、まっすぐこちらに向かってくる。近づくにつれて速さを増し、不意に白い波頭をたてて岩場に砕ける。
 鼻まで湯に浸かりながら、僕は間断なく寄せる黒い波を一心に見つめる。もしかしたらあれが「舟幽霊」なのかもしれない----そんなことを思う。
 夜の海で漁をしていると、突然舟が進みづらくなり、辺りが妖しい霊気に包まれる。何者かが近づいてくる気配。気がつくと、舟の周りを無数の幽鬼たちが取り囲んでいて、「杓貸せー、杓貸せー」と言う。恐ろしさのあまり柄杓を差し出すと、幽鬼たちはそれで海水をすくって舟を水でいっぱいにし、沈めてしまう。
 幼い頃にその話を聞いた時、子供心にとても怖ろしくて、そして何だか哀しい気持ちになった。「戸板一枚下は地獄」、海の上は昔も今も危険きわまりない場所だ。嵐に遭遇して波に呑まれたり、海路を見失って餓死したり、発狂して飛び込んだり……海の死に凄惨な話が多いのは、恐らくそれがことのほか苦しいものだからだろう。そんな風に死んでいった者たちが、生ける者を惑わしあの世へ連れてゆこうとする??その所為に、僕は痛ましいほどの無念と哀しみを感じるのだった。
 夜の海には、否応なく死のイメージがつきまとう。 
 その宿命的な死の匂いから少しでも気持ちを逸らしたくて、僕は視線を剥がすように顔を上げ、夜空を仰ぐ。
 頭上に光る無数の星は、空に鏤められているというよりは、何だか手当たり次第にばらまかれたように見える。いくつかの星はひどく大きくて、そして生々しい。その光がすでに何万光年も昔に失われたものであるとは信じがたいほどに、星たちはまるで今まさにそこで呼吸をしているように、リアルに輝いている。
 それはもちろん、モンゴルの平原で見る星空のごとく壮大で、息を呑むほどに美しい光景なのだけれど、そこに散らばっているのがかつて生きた惑星たちの残照であることを思うと、やはり僕は言いようのない哀しみと喪失感に満たされる。
「地図の上で町や村をあらわす黒い点がぼくを夢想させるのと同様に、ただ星を見ていると、ぼくはわけもなく夢想するのだ。なぜ蒼穹に光り輝くあの点が、フランスの地図の黒い点より近づきにくいのだろうか、ぼくはそう思う。汽車に乗ってタラスコンやルーアンに行けるなら、死に乗ってどこかの星へ行けるはずだ」(ファン・ゴッホ 《テオへの手紙》506)

(2005年6月6日発行『TALEMARKET』vol.23より)




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