Meet Earth
地球に触れている人達と出会う旅14


山口県豊北町








 鶏舎の前には、チェーンが引いてある。
 看板には赤いペンキ----「関係者以外立ち入り禁止」。消毒液が入ったプラスチックの踏込槽と、噴霧器が置いてある。
 飼料の運搬トラックがやってきた。運転手はチェーンの前で車を降り、置いてある噴霧器を背中に担ぐと、薬剤をまんべんなくトラックに噴霧し、踏込槽で靴をていねいに洗い、そうしてようやくチェーンを外し、敷地内に車を進めた。
 鳥インフルエンザの発生から三か月が過ぎた山口県。日本海に面した豊北町にある養鶏場の、いつもの光景だった。
「これを着てください」
 取材に同行していた県の担当者が筆者に手渡したのは、全身を包む真っ白い衛生服と、薄いビニール手袋。どちらも使い捨て。一度使ったら処分するものだ。
 鳥インフルエンザの終息宣言を出してなお、山口県では厳重な警戒態勢を敷いていた。
鶏の来た道

 養鶏場の経営者であるAさん(75)が出迎えてくれた。山口県養鶏協会の指導的立場にあり、長年、日本養鶏協会の理事も務めている。
 学校を卒業してすぐに飼料会社に就職し、養鶏の指導員を始めた。以来、養鶏業の現場を歩み続けて五〇年余という人物だ。
 もともと日本の養鶏は、農家が庭先で鶏を放し飼いにし、卵を産ませて肉用にするというものだった。三〇羽も飼えば子どもの学資が出たという時代だった。
 それが変質したのは、戦後。
 何万羽もの鶏をゲージに押しこみ、ベルトコンベアーでエサを運ぶという極めて工業的な飼育方法が、アメリカ合州国から導入された。とりわけ一九六〇年代。カーギルやコンチネンタル・グレーンといった「穀物メジャー」と呼ばれるアメリカ資本の商社が、当時アメリカ国内で処分に困っていた粗悪な余剰穀物を、日本に押しつける形で大量に輸出する。これを鶏の餌にし(もちろん人間も学校給食などを通じてこの粗悪な穀物を鶏同様たらふく食わされた)、雛鳥やワクチンなどとセットで農家に売り付ける方式によって、日本の養鶏業はその規模を飛躍的に拡大させた。
 アメリカ主導のこうしたグローバリゼーションの波はその後、農業のあらゆる分野に広がるわけだが、最初の突破口となったのは、他でもない養鶏業だったのである。
 Aさんが働いていた飼料会社というのは、日本の財閥系商社の下請け会社。そこで長らく養鶏指導を務めたノウハウを生かし、自ら鶏舎を建てて経営に乗り出したのは、一九七〇年のことだという。
「勤め人の日当が三百円だった時代に、卵は一個二十円で売れる----そんな時代でしたねぇ」
 当時を振り返って懐かしそうに語る。----が、そんな時代も長くは続かなかった。

ヤミ増羽

 「卵一パック八八円!」----そんなチラシを見たことがある人も多いだろう。卵の安売りは、スーパーの特売日の集客アイテムとして欠かせないという。
 かつて、卵は栄養豊富な食材として重宝され、病人や祝い事の時くらいしか食べられない貴重なものだった。それが今や、一個一〇円を切る低価格ぶりである。「物価の優等生」などと呼ばれ、三〇年以上もの間、単価をほとんど上げていない。
 卵の生産コストは、キロ当たり約一九〇円程度だという。卵価相場を見てみると、今年の一〜三月期の平均価格はキロ一六三円。
 全く採算が取れていない。
 こうした状態が恒常化している日本の養鶏業界では、いかにコストを削減するかこそが、至上命題となっている。
 一九六〇年代に約三百六十万戸あった国内の養鶏農家は、八〇年代に入って十六万戸。現在は四千戸余りに激減している。
 それにしても、一体何故、これほどまでに卵の値段は安くなってしまったのだろうか?
「ヤミ増羽のせいですよ」
 Aさんは一言、そう言った。
 ヤミ増羽----「無断増羽」ともいう。
 こういうことだ。
 採卵鶏は需給のバランスを保つため、国(農林水産省)が各県の飼養羽数を決め、生産者はこれに従って導入する。五万羽以上を飼育する場合、あらかじめ羽数を登録しなければならず、増羽する時には地域の需給調整協議会の許可が必要となる。
 つまり、飼育している鶏の数を勝手には増やせない仕組みになっているのだ。
 現在、日本国内で登録されている採卵鶏数は約一億九〇〇万羽。そのうち、五万羽以上を飼養している大規模の養鶏家業者は七三〇戸ある。
 実は、この層の「無断増羽」が後を絶たないのだという。
 卵価基金制度(鶏卵価格差補填事業)というものがある。これは、卵の月平均価格が生産費の九〇%を下回った場合、その差額を生産者に補填する制度。これが三か月以上続いた場合には、老鶏の早期淘汰(殺すこと)などの指導が、各養鶏家に通達され、正常な卵価になるよう調整される。
 「指導」というところがミソだ。
 つまり、通達事項の域内であって、強制力を何一つ伴わないのである。Aさんは言う。
「飼養羽数なんか真面目に守ったって補助金が出るわけでもないし、誰もやってません。そんなことより、少しでも売り上げを伸ばさなくちゃおマンマの食い上げなんですよ」
 まさしくその通り。ヤミ増羽は減るどころか、過去十年で最高の伸びを示しているとも言われており、卵価回復の大きな障害になっている。
 価格競争に晒される中で生き残りを図るには、安価な輸入配合飼料を与え、人件費をぎりぎりまで削減してコストを落とし、大量の羽数を飼育するしかない。
 これが、今の日本の養鶏業の現実である。
 そんな中で、鳥インフルエンザは発生した。

七九年ぶりのウイルス

 最初の緊張が走ったのは、九七年のことだった。
 世界各地で、鳥インフルエンザが同時多発したのである。韓国、ベトナム、香港などのアジア各国を始め、三〇年ぶりに発生したオランダを皮切りに、イタリア、ベルギー、ドイツなどヨーロッパ各国でも大流行。日本国内では一九二五年を最後に発生していなかったものの、関係者は警戒を強めていた。
 感染源は、どうやらアメリカ合州国にあるようだった。同国では二〇〇二年一月以降、ペンシルベニア州、メーン州、バージニア州、ウエストバージニア州、テキサス州、ノースカロライナ州などで相次いで鳥インフルエンザが発生し、さらに〇三年にはコネティカット州、ニューヨーク州、カリフォルニア州でも発生している。
 アメリカで発生した後、アジアやヨーロッパ各国など、世界的に蔓延するのが近年の鳥インフルエンザ流行の経路だ。
 この鳥インフルエンザは、当初は人間に感染しないと考えられていた。しかし九七年に香港で六人が死亡し、人間への感染が初めて確認された。昨年には中国旅行者二人が死亡している。
 インフルエンザウイルスは変異しやすく、数十年周期で遺伝子型が全く異なるウイルスが現れると言われている。新型インフルエンザはここ三〇年間出現していないが、今回の鳥インフルエンザの流行が、新型インフルエンザ出現の前兆であると警告する専門家も多い。
「これは来るな、と思いました」
 Aさんが言う。
 昨年十二月二十五日のことだ。
 山口県内の友人がインターネットで鳥インフルエンザに関する情報を検索していたところ、韓国では済州島を除く全地域に蔓延していることがわかった。Aさんの農場がある豊北町は、山口県西部の沿岸部に位置し、日本海を隔てて韓国とは直線距離にして約二百キロ。地図で見ればまさに目と鼻の先である。
「この地域には四軒の養鶏農家がいるのですが、どこに発生してもおかしくないと思いました」
 ところが----。
 異変が起きたのは、豊北町から約六十キロ離れた県東北部、島根県に近い阿東町の「Wファーム」の養鶏場だった。昨年四月に進出し、六棟の鶏舎で採卵鶏二万五〇〇〇羽を飼育していた。
 十二月二十八日、「Wファーム」で、八羽のニワトリが病死。翌日には十一羽、三十日には三十二羽----。
 七九年ぶりに日本における鳥インフルエンザが発生したのは、山口県の、それも沿岸部ではなく山間部に位置する養鶏場だった。

感染源の謎

 あくまで個人的な見解ですが----そう前置きして、Aさんが言った。
「色々言われているけれど、鳥インフルエンザの感染ルートは、私は人だと思います」
 専門家による調査研究が続けられているにも関わらず、鳥インフルエンザの感染ルートは、いまだ漠としてその全容を明らかにしていない。最も有力視されている「渡り鳥」ルートを、しかしAさんはきっぱりと否定した。
「もしもウイルスに感染した野鳥が病原だとするなら、韓国と目と鼻の先にあるこの地域の養鶏場だって、連鎖的に発生するはずでしょう」
 ----確かに。だが、山口県内の発生は、「ウィンウィンファーム」のみだ。もちろん、被害の拡大を食い止めたのは、関係者による不眠不休の努力の成果に他ならない。発生農場における鶏や卵、資材の早期処分と埋却、県内全養鶏場への立ち入り検査の実施、移動制限措置----山口県におけるこうした迅速な対応は、その後、高い評価を得ることになる。
 だが、それでもなお、渡り鳥を感染ルートとするなら、連鎖的発生を食い止めることはできないとAさんは言う。空を飛ぶ鳥全てに、網をかけることなどできはしないのだから、と。
 では、なぜ----?
 答えは、農場を出入りする「人」にある。
 養鶏場には、飼料会社、廃鶏業者、糞尿処理業者など、異業種の人間が毎日のように出入りを繰り返す。飼育規模が大きくなればなるほど、業者の数や種類をいちいちチェックし、管理することなど不可能である。
「たとえば商社系の業者の人などは、日常的に韓国や中国を行き来して取引をしているわけです。そういう人間が、靴の裏にウイルスを保菌して帰国し、たまたまどこかの養鶏場に入ったりすれば、あっという間に感染しますよ」
 Aさんはそう話す。余談だが、韓国全土に鳥インフルエンザが蔓延したのは、取材であちこち飛び回り、土足で現場を荒らしまくったマスコミのせいだとも言われている。
 「Wファーム」の本社は福岡県にあり、実はここは、他でもないMという商社系列の経営農場である。山口県内の他の養鶏農家は、Aさんのところも含め、飼料や廃鶏、糞尿処理など、出入りする業者はすべて農協系の「全農やまぐち」を通していた。が、昨年進出したばかりの「Wファーム」は当然、M系列の商系業者だった。<は国内最大の飼料会社を持ち、アメリカの穀物商社と結びついて配合飼料の原料を大量輸入している。
「ヤミ増羽で何十万羽も飼育しているような養鶏場では、とにかくコストを抑えるために、一番安い業者としか取引しないものです。そうなると、安かろう悪かろうで、どんな人間が出入りするかなんて、とてもわかりっこない」
 Aさんはそう話す。ちなみに、自殺した京都のF農場(国内三例目の発生農場)の会長は、Aさんとは旧知の仲だった。
「私は彼のことをよく知っているし、養鶏協会でともに理事を長く務めた仲です。だからこそはっきり言うけど============================」
 窓のない鶏舎。人工的に調整された照明や換気、温度。
 二四時間照明や一時間点灯・二時間消灯といった方法によって体内時計が狂った鶏達は、短期間に大量の餌(抗生物質入りの配合飼料)を食べさせられる。その結果、ブロイラーの幼鳥などは、たった五〇日の間に体重が約六〇倍にも肥大する。そうしてすぐに食肉となる。
 大量の鶏が押し込められている鶏舎では、いったん伝染病が発生すれば、ウイルスは爆発的に拡大伝染する。無菌状態で育った鶏達はバタバタと死んでいき、何千、何万という鶏が廃棄処分されることになる。
 結果、経営者は深刻な経営難に見舞われ----。
 Aさんは呟くように言った。
「彼の気持ちはよくわかる。もしも自分が同じような経営をしていたなら、まったく同じことをしたかもしれない」

食物支配のゆくえ

 インフルエンザは冬のもの。気候が暖かくなれば、自然に消滅する。
 そんな楽観的な見方をする専門家もいる。が、年中真夏のような東南アジアでは、鳥インフルエンザは風土病のように、年間を通して発生している。「終息宣言」などというのは、所詮一時的なものでしかないと考えるのが妥当だろう。
 ましてや、感染ルートがAさんの見るように「人」であるとするなら、仕事や観光で海外渡航者がこれだけ増えている現代において、ウイルスを保菌する可能性は誰もが否定できない。靴の裏や衣服にほんのわずかでも菌を有して帰国し、それがたまたま飲食店などで隣り合わせに座ったり、玄関マットなどを踏んだ直後にそこを通ったりした人が農場に入れば、それだけで感染源になるケースだって、充分想定できるのだ。
 戦後、アメリカ合州国の農業政策----これを「食物支配」と呼ぶ人もいる----が推し進めた日本の農業・食糧のグローバリゼーションは、期せずしてこんなところでもその成果を上げているというわけだ。
 あるいは、期して----なのかもしれない。
 現在、鶏などをはじめとする家禽類の、インフルエンザワクチンの開発先進国はアメリカ合州国である。同国が感染源とされている伝染病の世界的伝播によって、利潤を上げるのは他でもない、かの国というこの構図に、何らかの企図を感じるのは、穿った見方というものだろうか。

 取材から帰った数日後、Aさんの農場からたくさんの卵が届けられた。
 添えられていた礼状には、達筆な文字でこんな言葉が書かれていた。
「鳥インフルエンザは私達にとって、確かに大きな痛手でした。しかし私は、生産者として、消費者への卵の供給責任を果たせなかったことが何よりも悔しく、そして申し訳ない思いで一杯です」
 今、僕はこの原稿を書きながら、傍らにたくさんのゆで卵を置いて、食べ続けている。

(2004年5月31日発行『TALEMARKETvol.17』より)





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