Meet Earth
地球に触れている人達と出会う旅11


徳島県板野町








再びの蓮根

 うまい蓮根は穴まで美味い。
 そんな風に言うそうである。
 たしかに----しゃっきりさくさく小気味よい食感は、もしもあの穴がなかったら何だか味気なくて、粋じゃない。

 蓮根は、僕にとって長い間『謎の野菜』だった。
 何せ、生え方がわからない。
 スイレン科ハス属ハス。水中で伸長し、肥大した地下茎を野菜として食用する。この地下茎を「匍匐枝」というが、文字通り水の中を匍匐しているものだから、どこをどのように伸び広がっているものやら、皆目見当がつかないのである。
 七年ほど前、日本一の蓮根産地である茨城県の霞ヶ浦を訪ねたことがある。
 真冬。農家は氷の張った沼に胸まで浸かりながら、収穫をしていた。巨大なホースで水を送り、強烈な水圧で泥を飛ばしながら、水中を掘り探っていく。水面には枯れて黄変した茎やら葉やら芽やらが、ゴミみたいにあちこち顔を出しているだけ。なのに農家の人達は、それは正確な手さばきで、次々に水中から蓮根を引き上げていた。
 一体どうやって、視認できない水中の地下茎の位置を手繰っているのか----そのとき僕は、何度説明を受けてもわからなくて、悶々とした。
 七年越しの謎を解明するべく、四国は阿波の蓮根畑を訪ねてみた。

再びの人

 徳島県板野郡。全国第二位のシェアをもつ蓮根産地である。
 農協の担当者に案内してもらい、畑に向かった。
 初冬の重たい雲が低く垂れ込める下、小さなユンボが一機、めまぐるしく動き回っていた。
 ユンボとは、工事現場などでよく見かけるショベルカーのことだ。てっきり、基盤整備か何かの工事をしているのだと思った。
 なのに農協の人は、何食わぬ顔で『工事現場』をスタスタ----というか、泥のぬかるみをズブズブと進んでいくのである。
「徳島の蓮根は、ユンボで掘るんですよ」
 呆気にとられている僕を振り返り、言った。
 全国広しといえど、ユンボで掘る野菜なんて聞いたことがない。靴もズボンも泥だらけにしながら、僕は慌ててその後を追った。

「今年は出来がわりいなあ」
 そう言いながら、ユンボの運転席から降りてきたおじさんは、
「おお、あんたいつぞやの」
 思いがけず僕の知っている人だった。
 久米文雄さん(56)。泥の海でこけつまろびつしている僕を見て、目を細めている。
「あれえー、会うたことあるねえ」
 後ろから声をかけてきたのは、妻の玲子さん(56)だ。
 僕はこの夫妻のことを、なぜかよく覚えていた。いつかもう一度会いたいとも思っていた。
 二年前の二月。
 雑誌で徳島県の蕪を記事にした時、たまたま出会ってたまたま取材させてもらったのが、実はいま目の前にいる久米さん夫婦だった。
 厳冬の選果場で、幾何学模様のように整然と積み上げられた純白の蕪。その向こう側で文雄さんと玲子さんは、ちょうど今のように、どんな人も一発で魅了されてしまいそうな完璧な笑顔をカメラに向けていた。
 そのとき目にした蕪の美しさというのは、これまで僕が見てきた数々の野菜や果物の中で、ひときわ群を抜いていた。洗い場で水をしたたらせながら硬質な光を放つ蕪に、僕は息を呑み、その驚きと感動をうまく言葉にできなかったことを覚えている。
 作物ってもちろん食べ物なのだけれど、僕は常々、芸術作品だとも思っている。
 本物の農家というのは、大地をカンバスに壮大なアートを描き、オブジェを創る一流のアーティストだ。
 そんな僕の勝手な思い入れを、久米さん夫妻が創る蕪は、そのまま見事に体現していた。 
 文雄さんが煙草に火をつけながら、明るい声で言った。
「いやぁ、あん時の記事なあ……」
 この思いがけない再会に嬉しくなって、僕はだらしなくニヤけながら、文雄さんの謝辞に対する謙遜の言葉を用意した。
「いやいや、いいんですよ、そんな……」
「住所まちごうとったで」
「はう!」
 二人は相変わらず完璧だった----。余裕の笑みを浮かべながら、面白そうに僕を見ていた。

ユンボ・マスター

 水が切れた蓮根畑は、泥の湿地だ。
 文雄さんが操縦するユンボがグルグル旋回しながら、バケットで泥をかき取っていく。
 気が気じゃなかった。
 土の中には、無数の蓮根が埋まっている。そんなにガリガリ削ってしまったら、蓮根まで傷つけてしまうんじゃないか----あの美しい蕪を創り上げる文雄さんとは思えない荒作業なのである。
 ユンボが削った跡を、玲子さんが小さな鍬で掘っていった。真っ黒な泥の中から、真っ直ぐに伸びたオフホワイトの蓮根----それも傷一つ付いていない見事なやつが、次々に現れた。 
 土中四〇〜五〇センチの深さに眠る蓮根は、最初から手で掘っていたのでは大変な重労働だし、効率も悪い。そこでユンボである程度まで掘っておき、その後、手掘りしていくわけだが、ユンボのバケットが土に食い込むその深さたるや、まさにギリギリ。あと数センチ深くえぐってしまったら、無惨な蓮根墓地の出来上がりなのである。
 薄皮一枚といってよいそのエッジラインを、文雄さんは的確に、ためらうことなく、それもすごい速さで掘り進んでいく。あらかじめバケットが入る深さを設定しておき、オートマチックに掘っているのかと思いきや、文雄さんはただ一言、
「勘」
 聞けば、蓮根の深さというのは、
「畑によって違うし、その年の天気によっても変わるけんなあ。夏の暑い年は深く潜っとるし、涼しい年は浅いんよね」
 それを、勘だけを頼りに掘り進むそうである。
 うぅ〜む……。まったくもってこの世界には、凄い人がいるものである。

蓮根ミステリー

 さて、僕には大きな課題があった。
 蓮根の謎を解かねばならないのだ。
 茨城で見たような水中の収穫作業なら、手さぐりで当たっていけば何とかつかめそうな気がする。
 でもここでは、土の中に潜り込んでいるのだ。堅く締まった泥に、鍬を突き立て掘り出す。下手な場所に入れたら一発でパア。なのに、文雄さんも玲子さんも腰を深くかがめたかと思うと、次々に鍬を突き立て、泥をのけ、見事な一本子の蓮根を抜いていくのだった。 
 何か目印や法則があるに違いない。
 僕は顔が地面にくっつくくらいまでかがみ込んで、二人の鍬の先を目で追った。
(主茎がそこにあって、こっちに枝分かれして、たぶん右回りに巡っているから次はこっちを掘るだろう----って逆かよ!)
 取材そっちのけ。作業を邪魔するかのようにきょろきょろ地面を覗き込んでは、しきりに首を捻っている僕に、玲子さんが苦笑しながら説明してくれた。
「こことあそこに芽が出とるでしょう。その二つを結ぶ線上に蓮根があるんよ。で、そこが節やから、こっちの方向に枝が出とって、今度はこっち側に伸びとるんよね」
 伸びとるんよねと言われても、さっぱり解らない。
 だいいち芽が出ていると言われて、それはようやく(ああ、これか)と気づく程度のもので、普通に見たら芽なのか茎なのかゴミなのか、まるでわかりっこないのである。
「ここに出とるから、次はこっちを掘ればええんじゃ、ほら」
 文雄さんも親切に説明しながら、とりわけゆっくり掘ってくれたりするのだが、
「ははあ〜ん、なるほどぉ……(さっぱり解んねー)」
 文雄さんと玲子さんにしてみたら、全くもって、出来の悪い生徒なのである。
(謎は謎のままでいっか)

もう一つの宝

 さっきから僕は、気になって仕方がなかった。
 畦道に駐めてある文雄さんの軽トラ。
 ごく普通の、どこにでもあるトラックなのだが----ものすごく主張しているのである。
 またもや取材そっちのけ。僕は軽トラまで歩いて行って、そのボディをしげしげと眺め回した。
 ボンネットには、トラック野郎が付けそうなギンギラのライト、暴走族が好みそうなホーン。タイヤにアルミホイール、ハンドルは紫色のラメ。おまけにマフラーまで外されている。
 面白がってあちこち覗き込んでいると、
「ライトつくんやで」
 後ろから文雄さんが飛んで来て、運転席のスイッチを入れてみせた。
 ビガビガーッと明滅する青いランプを見て、僕は思わず、
「かっちょいい!」
 玲子さんが苦笑を浮かべて言った。
「こんな軽トラ、見たことないよねえ。どんな人が乗ってるんや思うたら、こんなおじさんとおばさんなんやから」
「ええやんか。わしの宝じゃ」
「まあ、馴れてしもうたけんもうええけど。でもあんた、褒められたんは初めてやねえ」
 二人はそんなことを喋りながら、『スーパー・デコラクティブ軽トラ』に、収穫した蓮根を積み込んでいくのだった。
 僕は心底、格好いいと思った。
 文雄さん、五六歳にしてこの茶目っ気、この遊び心。
 それでいて----いや、だからこそ、卓越した技術によって創り上げるその蕪や蓮根は、全国でも指折りの極上品で、農水大臣賞なんかも受賞しているのである。
「トラックの解体屋からな、色んなパーツ譲ってもろうて取り付けたんよ。配線なんかも全部自分でやったんやで」
 人を惹きつけてやまないこの夫婦の笑顔----その魅力のわけを、僕はほんの少しだけどわかったような気がした。
「もう一つ見せてやろか」
 そう言って案内してくれたガレージの奥には、ピカピカに黒光りするシーマが鎮座していた。濃いブルーブラックの車体に金色のラインとエンブレム。シートにはムートンのカバー。ナンバーの「230」は、
「ふ・み・お、やねん」
 僕はもう、完敗だった。
 文雄さんと玲子さんは今、暇を見つけてはこのシーマに乗って、四国八十八カ所巡りをしているという。
 薄暗いガレージの中で、文雄さんが独りごちた。
「わしの宝じゃけなぁ」
 そのとき僕は、てっきり車のことを言っているのだと思ったけれど、あれはきっと玲子さんのことなんだなあと、今はそんな気がしている。

(2003年11月30日発行『TALEMARKETvol.11』より)





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