Meet Earth
地球に触れている人達と出会う旅04


香川県豊中町








やっぱり女はすごい。
ブロッコリー畑でつんのめりながら、そう思った。
口も動けば手もよく動く。その仕事っぷりときたら、何というか、パックマン(かつて一世を風靡したテレビゲーム)が餌も敵も一気に食い尽くしていくような、そんな勢いなのである。(幼稚な例えで恐縮です)
香川県豊中町。一面の田んぼのなかに、ブロッコリー畑が点在している。
「生産調整」といって、今この国は米が有り余っているので(なのに輸入はしなくちゃならない)、農家は思うように米を作れない。「減反率40%」なんてことを地方ではよく聞くのだが、これはすなわち100坪の畑があったら60坪でしか作っちゃいけません、ということだ。2年に1度は作るな、ということだ。
農業というのは、ものすごくクリエイティブな仕事だと僕は思う。宇宙のリズムの中で、この惑星にじかに触ってものを作っている。作品が完成するのは、1年に1度だけ。
こんなに壮大な創作活動というのは、そうそうない。
そのクリエイティビティを、「生産調整」というやつは根こそぎかっさらってしまう。作れるのに作れないんだから。やる気なんかなくしてしまう。
豊中町の田んぼの中に、ブロッコリー畑がぽつんぽつんとあるのは、生産調整で米を作ることができない(あるいは作っても売れない)から、その代わりにブロッコリーを作っているためだ。

「豊中のブロッコリーは面白いよ」
関係者からそう言われて、何が面白いのかよくわからないが、とりあえず来てみた。
別にブロッコリーが豚の鼻の形をしているとか、みんなでどじょうすくいの格好で収穫をしているとか、そういうわけではない。
産地としてユニークな生産体制をとっている、ということらしい。
とりあえず農協を訪ねて、担当者から説明を聞いた。
「高齢化が進んで後継者がいないので、農家とJAが一体になって生産に当たっています」
何だかよくわからない。よくわからないが、どうも「みんなで作っています」と言いたいらしい。
そりゃあ一人で作ったって産地にならないから、みんなで作るでしょうよとも思ったのだが、畑を訪ねてみて、その意味がわかった。
6人の女性がいた。赤とか青とか黄色のエプロン姿で、ブロッコリーの収穫をしていた。
冒頭でも触れたが、その勢いたるやすごいのである。ぶわーっと喋くり合いながら、ぶわーっと刈っていく。畑の右端から、もう本当にあっという間にブロッコリーがなくなっていく。壮観ですらある。
なるほど、と思った。
この女性達は、畑の持ち主ではない。農協の集荷場で働いているパートのおばちゃん達である。
「横田さんとこな、今日病院でポリープ取る言うてたから、収穫に行ってやってくれん?」
「どれくらいあるん?」
「西んとこの畑3枚、全部や言うとったで」
「じゃあ6人くらいで行っとくわ」
集荷場で、農協の職員とパートのおばちゃんの間でそんな会話が交わされる。
つまり、農村で昔から慣習的に行われてきた「結い」と呼ばれる互助の労働交換をシステム化しているわけだ。
じいちゃんが倒れた、急な法事が入った、膝が痛い、出荷時間に間に合わない----農家が抱える様々な事情から農協にヘルプが入る。すると、集荷場のパートのおばちゃん達が、畑へ「出動」するのである。
「収穫支援」と呼ばれている事業だ。
「荷造り支援」というのもある。普通ブロッコリーの産地では、農家が畑で収穫をし、葉を落とし、茎を短く切り、箱にきっちり詰め込んで、集荷場まで持ってくる。
でも、ここではそんなことをしない。畑で収穫したら、そのまま軽トラックに山積みにして集荷場に持ち込み、台の上にぶちまけるだけ。「あとはよろしく」と帰っていく。それをパートさん達が、これまたものすごい勢いで箱に積め込んでいく。
「家で選別して箱詰めしとった頃は、夜中の1時や2時までかかっとった」(農家のおじさん)というから、なるほどすごい時短なのである。
そして、これを支えているのが女衆、つまり農家の女性達だ。
その仕事の速さ、正確さときたら、絶対に男じゃ太刀打ちできない。(この日も約100ケース分の収穫を、6人がかりで1時間半足らずで終わらせてしまった。普通だったら翌朝までかかる量だそうだ)
「佐々木さんとこのじいちゃんな、こないだ車椅子乗ってて転んだらしいで」
ザクッザク(ブロッコリーを刈る音)。
「ほんま!? うちのばあちゃんも足腰弱うなっとるから、買わないかんな思うとるんやけど」
ザクッザクッザク。
「あれ、いくらくらいするもんなんやろ?」
 ザクッザクッザクッザク。
「ようわからんけど結構するんちゃう? ねえちょっとアンタ、軽トラ回してきて!」
一畝終わり。とまあ、こんな感じである。
これが「野郎共」だったら、こうはいかない。やれタバコだ、ちょっくら休憩だ、電話だ、お客さんだと、何だかんだ手が止まりそうなものだ。(そのくせ口は動きそうだけど)
女性のすごさというか、これはまさに主婦の力だなあと思った。
家に戻って洗濯物を取り込まなくちゃいけない、掃除も残っている、子どもを迎えに行って、買い物をして、夕飯の支度をして……でも、限られた時間の中で仲間達とお喋りだってしたいし、情報交換も必要。
それゆえのスピードなのだ。(時給を稼ごうとか、そんな卑小な考えが一切ないところがいい)

「女性の時代」とか何とか言われているけれど、別に僕は特段そうとも思わないのだけれど、でもこういう場所に来ると、とてつもなくそれを実感してしまったりする。
子供を育てて、台所を守って、家を綺麗にして、小言を言われながら舅や姑の世話をして、近所付き合いまでこなす。肝心の父ちゃんときたら、やれ農協の会合だ、青年団の集まりだ、PTAの会議だと、ほっつき歩いてばかり。家業の農作業まで、主役を張らなくちゃいけない。
今、日本の農業を根っこのところで支えているのは、これはもう間違いなく、絶対に、女性だ。彼女達なくして、この国の食は成り立たない。
「男は理屈、女は感覚」などとよく言われるが、なるほどこれはあながち乱暴な決めつけ方でもないと思う。
たとえば農家の男2人が、ブロッコリーのことを話題にしているとする。その時、そのブロッコリーは99%「商品」として語られている。品種は○○で、収量は○○で、単価が○○で、最近は○○からの輸入が多くて……といった具合に。
これが女性同士だと、ブロッコリーはブロッコリーとして、「食べ物」として語られ、もっと言えばきちんと「生命」として語られる。
非常に自然で、感覚的で、健全で、そしてごく当たり前のことだ。
でも、実はブロッコリーをブロッコリーとして、当たり前に、素直に語れないところに、この国の食と農のシーンを取りまく不幸があるような気がする。
あぜ道に突っ立ってそんなことを思いながら、「これって結構、鋭い考察かも」と一人悦に入っていたら、突然背中に重い衝撃が走った。
「あらゴメンゴメン!」
つんのめった足下のあぜに、コンテナを抱えて仁王立ちしているおばちゃんの太い影が見えた。

(2003年4月1日発行『TALEMARKETvol04』みんなのブロッコリーより)




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