Meet Earth
地球に触れている人達と出会う旅01


島根県松江市








◆なぜ曲がる?◆

まがたま。
産地の人たちは、このカブの形をそんなふうにたとえて言う。
辞書で調べてみたら、「勾玉」----魔よけ用に用いられた古代の装身具の一種、とある。その形は確かに曲がり玉、先端がゆるやかなカーブを描いている。
言われてみれば、似ている。
最初は、牛の角みたいだと思った。くねっと曲がって、先が細い。
上半分が濃い赤紫色をしていて、下半分は真っ白。
何とも奇妙な姿と色合いである。
「津田カブ」という。
松江市の津田という集落で、昔から栽培されてきた漬物用の野菜である。どれくらい昔からかというと、1600年代半ば、松江藩祖・松平直政の時代から栽培されていた----と、ものの本にはある。
滋賀県の日野町に、「日野菜カブ」というカブがある。これは尻細で紫色をしているのだが、どうもこれが津田カブの原種らしい。何でも、参勤交代のときに松江に持ち込まれ、定着したのだといわれている。
こうした「伝統野菜」(地方野菜、地域野菜とも呼ばれる)は、全国各地に結構たくさんある。たとえば加茂ナスや九条ネギ、壬生菜といった京野菜などはよく知られているし、長野県には信州地ダイコン、戸隠地ダイコン、たたらダイコン、親田辛みダイコン、ネズミダイコンなどなど、90種類以上の土着の辛みダイコンがある。
深紅に近い色の金時ニンジン(香川)や、真っ黄色の島ニンジン(沖縄)といった東洋ニンジンも、西洋種が隆盛のなか(現在の主流であるオレンジ色のやつは、全て西洋ニンジン)、時々店頭などで見かけたりすると、「お、頑張ってるなあ」と、ついつい手を伸ばしてしまう。
こうした伝統野菜というのは、その土地でなければ育たないものが多い。土壌、気候、風土----何がもっとも影響するのかはよくわからないが、たとえば長野県の下伊那郡に親田辛味ダイコンという、蕎麦の薬味に最適の辛ーいダイコンがあるのだが、その種をよそに持ち込んで植えてみたら、普通のダイコンになってしまった、なんて話はよく聞くことなのだ。
それにしても不思議なのはこの津田カブ、どうしてこうもひねくれ曲がっているんだろう。原種の日野菜カブは、まっすぐ細長いのである。
松江市で、こんな話を聞いた。
「旧暦の10月は全国の神様が出雲大社に集まるから神無月いうでしょ。ところが島根県は神有月ちゅうんですわ、ええ」
市内の漬物メーカーを訪ねて、製造工程などを見せてもらっているときに、社長が切り出した。
いわく、9月末に種を蒔いて、12月初旬から収穫が始まる津田カブは、全国から集まった神様にお土産として持たせるために、古来からこの土地で作られている。だからその形は、魔よけの勾玉状をしているのだ、と。
なかなか素敵なロマンだ。僕はこういう話が大好きである。
実際のところはというと、津田カブは水田の裏作、つまり稲刈りをした後の田んぼを利用して、冬の間に作られる。水田というのは、春から夏にかけて水を張るため、地下10〜20センチの深さの土は柔らかいのだが、その下の地盤は堅くできている(柔らかいと水が浸透してしまうからね)。
種を蒔いて根を張り始めた津田カブは、柔らかい土中ではまっすぐ順調に伸びていくが、ある時、堅い地盤にぶつかる。ちょうどその頃地上部には、茎に厚くて重い葉っぱがたくさんついている。
つまり、上からは葉の重さでぎゅうぎゅう押され、下は堅い土にさえぎられてまっすぐ伸びることができない。仕方なく横に曲がっていく----とまあ、専門家筋の見方はこうである。
僕はもちろん、「神様お土産説」を支持しますけどね。

◆その人、不機嫌につき◆

松江市内の川津という集落を訪ねた。津田カブの栽培が盛んである。津田じゃないの? と農協の人に尋ねたら、現在、津田で津田カブは作られていないらしい。
戦後、日本の農村では、食糧増産のために農薬と化学肥料が、これでもかとばかり田畑にぶち込まれてきた。現在では使用禁止になっているものも数多くあるわけだが、津田も例外ではなく、その副作用で、土壌が酸性化してしまったのだという。
加えて、長年同じ畑で同じ作物を作り続けていると、「連作障害」というやつが起きる。病気や虫が発生しやすくなるのだ。
さらに宅地化も進み、田畑が住宅へと替わっていった。
そんなこんなで、津田では津田カブができなくなったというわけ。
農協で教えてもらった畑に向かう途中、粉雪が舞い始めた。
畑に着いたら、吹雪いていた。
生産者のYさん夫婦が、広い畑にぽつんぽつんと離れて座り、収穫したカブの根の先端を、一本一本鎌で切り落としていた。
「寒いですねえ」
と声をかけたら、
「もう慣れちょるから」
旦那さんの方がマスクの下でぼそりと答えた。
あまり機嫌がよろしくない。
実はこの日、僕らの取材に同行したいと言って、地元の新聞記者と広報課の連中が、ぞろぞろとついてきていた。
こういう場合、大概ろくなことがない。まず、大人数で押し掛けること自体迷惑だし、相手もついつい構えてしまうから、雑談ができない(僕の取材はほとんどいつも雑談で終わってしまう)。
加えて、新聞記者の取材というものは、みんながみんなそうというわけではないけれど、大概ひどい場合が多い。来る前から原稿が出来上がっていて、そこにはめこむ言葉を確認するためだけに、2〜3言聞いてハイおしまい。写真にしたって、「ヤラセ」るだけやらせて、謝礼も置かずに(「取材してやった」のだから)とっとと帰る。
今回もそれに近いものだった。
そんなわけで、こちらの旦那さんは(元々の性格もあるようだけど)とっても無愛想である。
仕方がないので、とりあえず奥さんの隣にしゃがんで、「東京も雪だったんですよ」とか、「松江に来るといつも宍道湖のシジミを食べられるのが楽しみなんですよねえ」とか、適当なことを一方的に喋っていた。
ふと足下を見ると、ごろんと1個カブが転がっていた。
「これいいですか?」と聞いて、土をぬぐってかじってみた。
口の中いっぱい、ざぶりと水が広がった。 
ものすごくみずみずしい。そして甘い。
「こりゃうまいですねえ」
そう言ってぼりぼりかじっていたら、
「ふん、干したやつはもっと甘いぞ」
いつの間にか近くに来て作業をしていた旦那さんが、そう言った。
それもぜひ食べてみたい、と言ったら、
「いろんな人間が来たけど、畑で生のカブかじって喜んどるような人は初めてじゃ」
マスクの下に隠れてよく見えなかったけど、そう言った旦那さんは、ちょっと笑ってるみたいだった。

◆宵闇の小川◆

粉雪が口に入った。それで我に返った。
目の前の風景に圧倒されて、口をぼかんと開けたまま突っ立っていた。
宵闇。水しぶき。粉雪。それに山積みのカブ。何て美しいんだろうと思ったけれど、口に出して言うのも気恥ずかしくて、ただ黙って凝視していた。
二人が、家の前の小さな川で、昼間収穫したカブを洗っていた。
気温零下2度。強烈なライトの光線の前を、粉雪が斜めに飛んでいた。
「そんなところに突っ立って、寒かことでしょうにのう」
川の中の奥さんが、苦笑しながら言った。 
いやあ、まあ、とかもぐもぐ言いながら、
「そちらの方がよっぽど寒いでしょう」
と答えたら、
「山の水じゃから、ぬくいんだ」
旦那さんが言った。
川に入ってみたら、確かにその水はぬるくて、外気よりも3〜4度高いように感じられた。
道に山積みにされた津田カブの数は、1000本を超えていた。全部洗い終わるのに1時間以上かかるという。思わず、
「大変な仕事ですねえ」
とつぶやいたら、
「物心ついた時からやっとるからな。もう慣れっこじゃ」
旦那さんがそう答えた。
津田カブ作り40年。吉岡家では200年近くにわたって代々このカブを作り続けていて、旦那さんは4代目にあたるという。
「5代目はどうですか?」
そう訊ねてみたが、じゃぶじゃぶとカブを洗う旦那さんの耳には届かなかったのか、返事がなかった。

◆売れる漬物 売れない漬物◆

土から引き抜き、根を切り落とし、6本1束にしてわらで結わえ、水で洗い、通常の野菜ならこれで出荷となるが、津田カブはまだ終わらない。
松江に来る前に、地元の人に電話で津田カブのことを聞いていたとき、
「今ちょうど、ハデに干しとるよ」
と言うのを聞いて、さぞかし派手に干してるんだなあと思ったのだが、これはハデ違いで、津田カブを干す竿組みのことを、地元ではハデと呼んでいるのだった。 
この時期、宍道湖から吹き抜ける冷たい西風に3〜4日当てると、いい具合にカブの水分が抜けて、うまい漬物になるのだという。
「天日で干すことで、風味が良くなるんです。温風とか乾燥機なんかも試してみたんですが、見た目は変わらなくても味が違う。まあ、人工的にやった方が効率は上がるんですがねえ」
松江市内の漬物業者の工場長はそう言っていた。
石油ストーブを焚いた事務所、すきま風が吹き込む古びた工場で、昔からの漬け方を頑固に守り続けている老舗メーカーだ。
売り上げはどうですか? と聞いたら、
「うーん、それは聞かないで」
と苦笑した。
不景気のこの時代、津田カブは生産量が年々増えている何とも珍しい野菜である。これまでは冬にしか作られていなかったけれど、昨年からは春夏の出荷も始められた。
何でも、出荷先の漬け物メーカーが「どんどん作ってくれ」と言っているからだそうである。
それだけ売れているらしい。
なのに、工場長の話しっぷりを聞いていると、どうも話が違う。
よくよく聞いてみたら、
「それは○○さんの方じゃないですか」
ということだった。
前出の漬け物会社の方は最新型のオートメーション工場で、手間ばかりかかる昔ながらの天日干しはせずに、氷温で貯蔵したカブを漬け込んでいる。
「若い人は発酵した糠の匂いとか酸味を嫌うけん、最近は糠臭くない漬け物がよく売れとるんです」
社長はそう話していた。
原理はよくわからないが、氷温で貯蔵すると天日で干したのと同じように水分が抜けるらしい。
同社の浅漬けを食べてみたが、うーん、確かに若い人には受けるのかなあという感じだが、僕なんかはちょっと物足りないというか、「味の素」の味が強くてあまり好きじゃなかった。
こちらの糠漬けは、塩っ辛くて糠臭くて、津田カブの歯ごたえと甘みが前面に出ていて、これぞ漬物という感じ。
でもまあ、農家にしてみれば、漬物の売り上げをがんがん伸ばしてもらって、材料をたくさん買ってくれる業者の方がいいのだろうけれど。

◆一つの終わり◆

翌日、宍道湖に注ぐ大橋川の対岸にあるハデ場を訪ねた。竿組み一面に津田カブが干されていて、なるほど確かに派手だなあと感心した(だから「ハデ」ではないと思うけれど)。
すぐに吹雪いてきた。
「あんたも物好きじゃなあ」
軽トラックの荷台にカブを山積みにして、二人がやってきた。頭と肩に雪を積もらせて待っていた僕を見て、旦那さんが苦笑した。
軽トラをハデに横づけして、旦那さんが竿の上に登った。奥さんは、荷台の上からカブを手渡す係らしい。竿の一番上まで登ると、お互いが手を伸ばしてやっと届くくらいの高さで、その姿は何だか断崖で手を取り合うクライマーみたいなのだった。
「去年までは放り投げて渡しとったんですが、今年は腕が痛うてだめですわ」
奥さんが言った。
突然、陽が差し込んだ。
見上げると、空を覆う雪雲に小さな穴が空いていた。
粉雪が舞う中で、干されたカブの隙間から光が届いた。
「息子は農協に勤めとるんです」
ひと休みの時、奥さんが僕のところに来て言った。
「ああ、5代目ですか?」
と聞いたら、
「なーんも。小さい頃から手伝いもせんですがね。米だってぜんぶ主人が作っとるんです。手伝いもせんですがね」
奥さんはそう言った。
200年続いたY家の津田カブは、4代でその幕を閉じる。
旦那さんは向こうにいて、干し終わったカブをいつまでも見上げていた。

(2003年1月1日発行『TALEMARKET vol.01』「曲がるが勝ち」より)



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