after glow
編集後記14











 毎度のことながら私事ですが、先日、陶芸に初挑戦する機会がありました。
 僕はアートというものに関して全く無頓着な人間です。以前、イギリスの陶芸家であるルーシー・リーの作品展を見た時、ほんの一瞬だけ、その世界の物凄さみたいなものが垣間見えたような気がしましたが、でも、それっきり。
 相変わらず絵も書も器も、まったく理解できない無粋な人間なのです。
 2月の初めに写真家・早田均さんのスタジオにお邪魔した時のこと。陶芸家の中矢先生に特別指導をいただき、土をひねる機会に恵まれました。でも、そもそもがそんな心持ちだから、どうせなら家で使える器でも作るかなどと考え、いきなり大皿をオーダー。半ば呆れられつつ、ろくろを回したのです。
 ----手がブレる。速度が定まらない。力の具合も水加減も、さっぱりわからん。そもそも何を作ろうとしていたんだっけ? 見ていた時はあんなに易しそうだったのに----。
 2度、3度と失敗を繰り返すうちに、ハタと気がつきました。
 これは----怖い!
 楽しいとか美しいとか、そんなことより何より、僕はその恐ろしさをリアルに感じました。
 だって、その時々の自分のメンタリティが、そのままオブジェになって現れてしまう。大局的な心的傾向はおろか、一瞬一瞬における微細な心の動きまでが、くっきり具現化されてしまう。正直、これは堪りません。僕のように、日々自分を偽って背伸びして生きているような人間には、とても手に負える代物ではありませんでした。
 しかし思えば、これは陶芸という分野に限らず、書であろうと絵画であろうと、写真や文章だってそうかもしれませんが、およそ「表現する」という世界においては、至極当たり前のことなのかも。そのオブジェをメモニターモにして、単に自身の姿や生き方を、そこにぽん、と置くだけ。自分をさらけ出すだけ。技術や技巧は、モニターをよりクリアーに映し出すための、ツールでしかない。
 さらに突き詰めるなら、これは何も表現の世界にとどまることでなく、森羅万象あらゆる仕事・職業に当てはまることなのでしょう。結局は、それを通じて、自分自身をさらしているに過ぎない。
 僕にとって陶芸は、とても怖いものでした。たぶん、今の僕の手には負えない。自身をさらすのは、このテルマというステージだけで、一杯いっぱいだから。
 そんなわけで今後も、この場においてのみ、さらけ出しまくり、"露出狂"路線で行きたいと思っております。

(2004年2月14日『TALEMARKET vol.14』編集後記より)





photo & text by tokosemurayasu
Copyright:(c)2008Kosemura Editorial Office.
All Rights Reserved.