WaySide 2
某処某人


埼玉県川越市








 芋マニアである。
 芋フェチ、と言ってもよい。
 ひとたび芋の話になると、とどまることを知らない。
 僕のことでは、もちろんない。
 先輩編集者のI氏である。
「芋は面白いんだよ、すごく」
 柔和な笑みを浮かべながら近づいて来る。どこかムーミンパパのようなその風貌は、僕と並んで歩くと、「善」と「悪」の組み合わせのようだと、周囲は失笑する。「よい刑事」と「悪い刑事」みたいな----。
「芋は芋じゃん」
 昼飯時、向き合って弁当をつつきながら、“悪い刑事”が毒づく。
「いや、面白いんだって、すごく。いろんな品種があって、地球とか----」
 地球とか?
 悪い刑事の手が止まる。
「救うんだよ」
 芋が地球を救えるなら、僕なんか銀河系を丸ごと救えそうだ。
 面白い。“芋風情”に一体、何ができるというのか。
 こうして僕の、芋をめぐる探訪が始まった。
芋のつぶやき

 サツマイモといって僕が思い浮かべるのは、やっぱり焼き芋の風景だ。
 小さい頃、石油ストーブの上に生の芋を乗っけて、その上にステンレスのボウルをかぶせて焼いたりしていた(今考えると、消防上かなり問題がある調理方法だけれど)。三〇分も経つと甘く焦げた匂いが部屋に立ち込めた。手にタオルを巻いて熱くなったボウルを取ると、ほかほかの焼き芋が出来上がり。おやつ代わりによく食べたものだ。
 でも、焼き芋を喜んで食べていたのはガキ供ばかりで、大人が食べている姿を見た記憶が、そういえばあまりない。
 それもそのはず。戦中、戦後の食糧難の時代、芋は国民の胃袋を支える重要な作物だった。畑も校庭も道路脇の空き地すら片っ端から耕され、芋が植えられた。空きっ腹を埋めるために精一杯太らせて不味くなった芋を、誰もが食わされた。その時代を体験した人達は、芋に対して心中穏やかならぬ思いがあるらしく、だから世の中には「芋嫌い」の人が結構多いという。全盛期には四〇万ヘクタール(四千平方キロメートル)ものサツマイモが作られていたが、現在は十分の一の四・五万ヘクタール程度。
「こんなに身近でうまいのに、日の当たらない野菜なんだよね」
 丸い背中をさらに丸めて、ちょっぴり哀しそうにI氏が呟く。
 案外知られていないけれど、サツマイモは全世界の生産量のうち九割がアジアで作られている。中国の生産量がダントツに多くて世界全体の八四パーセント。日本はウガンダ、ナイジェリア、インドネシア、ベトナム、ルワンダに次いで第八位(二〇〇二年)。サツマイモはアジアの星なのである。

おいしい焼き芋のワケ

「パープルスイートロード」「クイックスイート」「ジェイレッド」「ベニコマチ」……。
 近年、続々と開発されているサツマイモの新品種の名前だ。
「パープルスイートロード」は紫芋。これまで紫芋というと加工食品などの色素用が主流で、正直、味は不味かった。でも、「パープルスイートロード」は食味がたいそう良いのだそうだ。実際に焼き芋を食べてみたら、確かにしっとりとした肉質で甘さ控えめの良いお味。何より、濃い紫色がアントシアニンたっぷり! という感じで、いかにも身体に良さそうだ。
「クイックスイート」は、その名のとおり「クイック」で「スイート」な芋。電子レンジなどで手速く調理しても、おいしい蒸し芋ができるらしい。
「どんなに美味しい芋でも、電子レンジでちゃっちゃと調理したら、ベタベタの不味い味になる」
これ、芋好きの常識(らしい)。
 サツマイモのうまみは、中に含まれるデンプンが加熱によってじっくり糖分に代わるところにこそある。たとえば石焼芋とか焚き火の芋がやけにうまく感じられるのは、ちゃんと理由がある。
 サツマイモには、デンプンを分解して麦芽糖に変えるβアミラーゼという酵素が含まれていて、これは六〇〜七〇度くらいの温度でデンプンが糊状になると、活発に働くらしい。遠赤外線効果でじっくり加熱される石焼き芋や焚き火の芋は、だから甘みが強くなる。
 さらに水分の加減も大切。短時間で焼き上げた芋は水分が多く、食感もベタベタしてしまいがちだし、逆に長い時間をかけて焼くと、パサパサになる。
 そこでこの「クイックスイート」(素早く甘い!)はどうなのかというと、芋に含まれるデンプンの糊化温度が低い----つまり短時間の加熱で糖度が最高値に達するよう開発されたものだそうだ。忙しい現代人もレンジで手軽においしい焼き芋----僕は食べていないからよくわからないけれど、これがメリット。
 さらに「ジェイレッド」はカロテンが含まれていて(中身が橙色!)、ジュース用の品種なのである。
「サツマイモジュースぅ?」
 悪い刑事がまた毒づく。
「いや、うまいんだよ」と、I氏。
「ホントにぃー?」
「う、うん……うまいよ。ちょっと」
 “ちょっとうまい”そうである。

芋が地球を救う?

 ところで芋が地球を救う話はどうなったのかというと、これが意外にも眉唾ではなさそうなのだ。
「トヨタ自動車がサツマイモ栽培」
 そんなニュースがあった。二〇〇三年五月、トヨタ自動車がインドネシアで年生産十万トン規模のサツマイモ加工場を設立。早速トヨタの広報に問い合わせてみると、
「わたくしどもは深刻化が懸念される食料問題に着目したところから、この事業を始めました。世界の人口はこの五十年間で六十億人に倍増し、二〇五〇年には百億人に達すると言われています……」
 中略。要するに、
「サツマイモを始めとするデンプン、糖質資源を原料にしたバイオプラスチックの開発を推進」しているそうである。
 石油から作られるプラスチックは、自然界で分解しない。生態系を破壊し、景観も損なう。これに対してトヨタが試作したサツマイモプラスチックは、土に埋めると微生物によって分解され、四週間で粉々になる。いずれはすべてが二酸化炭素と水になって消える。五月に発売される新型ラウムには、部品の一部でこのプラスチックが使われるそうだ。
 現在、全世界で作られているプラスチックは年間約一億五千万トン。二十年後にはこのうち三〇万トンが生分解性プラスチックになるという試算もある。トヨタのプロジェクトは、もちろん企業イメージを上げる狙いもあるが、むしろ将来有望なバイオプラスチック業界への参入に、早い段階から唾をつけておこうという意図が見える。
 別の見方もある。
「トヨタさんはね、最初わたしのところに相談に来たんですよ」
 そう言って憚らない人に会った。
 埼玉県川越市にある、恐らく日本で唯一の「サツマイモ資料館」館長、井上浩さん(72)である。井上さんによれば、どうやらトヨタのサツマイモ栽培は、究極のところガソリンに代わるアルコール燃料の創出にあるらしい。
 太平洋戦争中、日本はガソリンを節約するためにサツマイモから作った燃料用アルコールを混入して使っていたそうだから、技術的にはとうの昔に実現している。
「ただね、いきなり代替ガソリンの開発なんて始めたらアメリカさんを刺激してしまうでしょう。僕も燃料の方を薦めたんだけれど、あちらには自動車を買ってもらう都合もあるから、貿易摩擦を考えてとりあえずプラスチックの方から始めたんじゃないかな」
 井上さんはそう見ている。

笑う芋

 サツマイモの用途はまだまだある。
 ビタミンCや食物繊維が豊富で、美容や整腸効果があることはよく知られているが、近年は薬としての開発も盛んだそうである。
サツマイモに含まれる色素には抗酸化作用があり、癌に結びつく細胞の突然変異を抑制したり、高血圧や肝機能障害を軽減されることがわかっている。サツマイモの葉っぱの抽出液には細菌やウイルスの増殖を防ぐ機能も発見され、HIVの特効薬としての期待も高まっているとか。
 近い将来、人類が宇宙に長期間滞在して食料を自給自足する場合には、宇宙ステーションで栽培する作物にサツマイモ----そんな研究も進んでいるらしい。
「なるほどぉ。芋は単なる芋ならず、かあ」
 編集部のデスクで呟く。ふと顔を上げると、I氏が見ている。その顔にはいつも人の良いアルカイック・スマイルが浮かんでいるから、一見するとよくわからないけれど、僕はその時、確かに彼がほくそ笑んでいるように思えた。
 いかんいかん、芋フェチに片足を突っ込みかけている。
 待てよ----?
 昔ちょっとだけ流行った「野菜占い」というやつをやってみた時、そういえば僕は「サツマイモ」に分類されていた気がする。
 いわく、
「見た目はパッとしなくても、長く付き合うと良さがわかる」
 ----案外、芋フェチも悪くないかもしれない。

(2004年2月14日発行『TALEMARKETvol.14』より)




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