WaySide 2
某処某人


千葉県浦安市








「花火、行きましょう」
「い、いや、それはちょっと……」
 電話口で、僕は口ごもっていた。
 これが妙齢のご婦人からのお誘いだったら、一も二もなく出かけていくところなのだけれど、相手は身長180センチ、五十路を超えた「おじさん」なのである。
 自慢じゃないが、これまで「花火大会」と名のつくものに、一度として足を運んだことがない。そもそも人混みが大の苦手。満員電車につぶされて、炎天下に場所取りをして、帰路の行列でもみくちゃにされて----といったあの「苦行」を思うと、どうしても腰が上がらない。
「その日はちょっと……仕事が……あったような、ないような……」
 何とか言い訳をひねり出そうともぐもぐ言っている僕に、電話の声が覆いかぶさった。
「打ち上げ現場から見られますよ!」
 電話の主----カメラマンのT氏は、テルマvol4で紹介した女性花火師・宗家鍵屋十五代の天野安喜子さんを、長年撮り続けている人物である。
「マスコミが何社か安喜子さんの取材に来るんですけどね、立ち入り禁止エリアが広くて取材にならないんですよ。でも私達はね、安喜子さんから特別に『鍵屋』のTシャツを借りられて、スタッフとして打ち上げ現場に入れるんです」
 『私達』って誰と誰? と思ったけれど、僕の脳裏にはすでに目の前で上がる火花、腹に響く大音響、降り注ぐ火の粉の映像が、くっきりと浮かんでしまった。現場のピリピリした緊張感を想像するだけで、胸がわくわくした。気がつくとこう口走っていた。
「行きましょう、花火!」
 こうして僕の花火大会デビューが決まった。それも打ち上げ現場で。
独占取材

 午前七時。東京・入谷のインター入り口でT氏を拾い、会場となる浦安市の海浜公園に向かった。本番は午後七時半からだが、準備や搬入作業は朝から始まる。
 明け方まで続いたどしゃ降りの雨も上がり、天気予報は曇りのち晴れ。
 宮城、栃木、長野、群馬……現場には地方ナンバーの大型トラックが列をなし、木枠で囲った銀色の円柱が次々に運び出されていた。
 関係者専用の駐車場に車を駐め、そそくさと一服し終えると(さすがに花火の打ち上げ現場で煙草はまずい)、カメラを担いで車から降りた。職人さん達の間を縫って安喜子さんを探す。
 黄色いTシャツの背に「鍵屋」の文字。男衆の中で、小柄な体躯がてきぱきと指示を出している姿を見つけた。背後に2社のテレビカメラがくっついている。カメラマンに音声にディレクター。合計6人の男達が、彼女の周り半径2メートルくらいを、つかず離れず追いかけ回していた。
 安喜子さんが僕達に気づいて、駆け寄ってきた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
 挨拶を交わし、今日のスケジュールを確認する。後ろに控えた取材クルー達は、あからさまに「こいつらどこのモンだ?」という顔。
「じゃあ後ほど!」
 そう言って走り去る後ろを、小判鮫があたふたと追いかけて行った。
「こりゃあオレたち、午前中は取材になんないねえ」
 と、T氏。NHKにドイツ国営放送、地元のケーブルテレビ、それに朝日新聞と女性自身。今日は総勢15人の取材陣なのだという。
「彼らは午前中しか取材許可されていないから。こちらは午後からゆっくり、独占取材といきましょう」
 T氏はそう言ってにんまり笑うのだった。

ご愁傷様

 打ち上げ現場から50メートルほど離れた丘の上に、大会本部が設営された。朱色に白く染め抜かれた「鍵屋」の旗が、潮風を受けて激しくなびく。
 鍵屋の花火は、今や全てコンピューター点火。昔のように職人が、筒の中に火を投げ込んでさっと身を伏せ、どかんと打ち上げる----ということはない。本番が始まると、関係者は本部に詰め込み、秒刻みのタイムスケジュールに則って、点火スイッチを入れていく。
 一方、報道関係者はというと、さらに100メートルほど後退した場所にある公衆便所に柵を設けられ、そこから撮影。
 本部に立ち、報道エリアとなる公衆便所を見下ろしながら、僕は思わず独りごちた。
「ご愁傷様」
 ひと通り現場を歩いて地理を把握し、準備の様子などを撮影すると、あとは特にやることがなくなった。金魚の糞になるのも嫌なので、T氏を置いて、僕はひとまず車の中に戻った。
 カーステレオをつけてシートを倒すと、秒速で眠気が襲ってきた。ジプシーギターのサウンドにうとうとし、びくりと右足がひきつった瞬間、窓ガラスが叩かれた。
 慌てて起きあがると、T氏が車の外にいた。手には鍵屋の黄色いTシャツ。これさえあれば、誰にも咎められず現場を動き回れる黄門様のご印籠。
 喜び勇んで車から降りた僕に、T氏が言った。
「実はですね……」
 その顔は心なしか、妙に申し訳なさげなのだった。
「打ち上げ現場には一人しか入れてもらえないんですって……」
 T氏の手には、一着のシャツしか握られていなかった。
「ガーン」とか「うそーん」とか「信じらんなーい」とか、こんな時、素直に感情を口にできる人が羨ましい。僕はというと、
「ああ、そうなんですか。じゃあTさんが着て下さいよ。僕はこの辺りで車から眺めていますから」
 精一杯平然とした顔で、そんなふうに言ってしまう性分なのだった。T氏はちょっとだけほっとした顔で、
「ええ、そうですか? いや〜ごめんなさいね、何だかせっかく無理言って来てもらったのに」
「いやいやいや、いいんですよ。もともとはTさんが招待されたんだし。それにほら、僕は今日のところはアシスタント兼運転手みたいなモンですから、所詮」
 そう言って僕はT氏に背を向け、車のドアを開けた。後部座席に置いてあるカメラバッグをガサゴソしながら何か探しているふりをして、半ベソ顔を見られないようにした。
 しばらくしてこっそり振り返ると、黄門様のご印籠を身にまとうべく、颯爽と仮設トイレに歩き去っていくT氏の背中が遠ざかっていた。

マイルドセブン

 そんなわけで、「打ち上げ現場で花火を体感」という僕の野望は、あっけなく費えた。
 取材もできないというのに、T氏を置いて一人帰るわけにもいかず、鍵屋から差し入れされた弁当(これも詫び賃みたいで何だかもの悲しい)を一人、運転席に座ってもそもそと食べた。紅鮭の骨が歯茎に刺さった。
 チャボロ・シュミットのもの悲しいジプシーギターは、この情けない状況にあまりにどんぴしゃすぎて、僕はCDをブランキー・ジェット・シティのハードロックに換え、シートを思い切り後ろに倒した。
 本場までまだ5時間あった。

*   *   *   *   *   *

「……でよ、……だっけさー、……だったんだあ」
「……とけー、……べなー」
 ふて寝を決め込んでからどれくらい過ぎたのか。うとうとしている僕の耳に、心地よい方言の語尾が途切れ途切れに入ってきた。薄目を開けて外を見ると、隣に横付けされた大型トラックの前で、おっちゃん達が五、六人、煙草を吸いながら立ち話をしていた。
 首筋の汗をぬぐい、ぬるい缶コーヒーで喉を潤すと、途端に僕も煙草が吸いたくなった。しかしこんな時に限って切らしていて、たかる相手のT氏は撮影中。僕は車を降り、おっちゃん達に近づいていった。
「あのう……すいません、煙草一本恵んでもらえます?」
 おっちゃん達が一斉にこっちを向いた。その中の一人が、
「ん」
 と言って、ズボンのポケットからくしゃくしゃのマイルドセブンを差し出した。
「あ、どうもすいません」
 そう言って一本抜こうとすると、
「やるよ、それ」
 と言って箱ごとくれた。慌てて遠慮すると、
「にいちゃん、素人だべ。こういう現場じゃよ、周りに店なんかねえんだから、食い物も煙草も買いだめしとくもんだ。おれたち、山ほど持ってるっけさ、やるよ」
 僕は恐縮しながら箱ごと受け取り、一本くわえて火をつけた。フィルター付きの煙草は実はあまり好きじゃないのだけれど、そのマイルドセブンはやけにうまかった。
 僕は煙を吐き出しながら、「みなさんはどちらから来られたんですか?」と聞いてみた。
「仙台だよ仙台。……つってもおめー、九州の川内じゃあ、ねえぞ?」
 ねじり鉢巻きハゲ頭。人懐こい目をしたおっちゃんが、「最高だろ、このシャレ?」という顔をして言った。周りのおっちゃん達が一斉に大笑いした。
 おっちゃん達は、宮城県の「佐藤煙火」という花火製造会社の人達で、夏場になるとこうして各地を巡り、仕掛け花火の製作と打ち上げをしているのだという。僕はおっちゃん達に、地方の花火師の仕事っぷりについてあれこれ聞きたかったのだけれど、おっちゃん達はなぜか、ユーレイ話に大盛り上がりなのだった。
「山形から新潟に抜ける峠道でよ、夜中に走っとったらよ、白い着物着た髪の長え女さ見たよ」
「まじけえ、おい?」
「おお、それでな、通り過ぎたなと思ったらよ、その女さ後ろの座席におってよおー」
「うえー、おっかねーなー」
「んでな、その女さ座っとったところをよ、オレは後で見たわけよ。そしたらよお」
「おお、おお」
「雨も降ってねえのに、濡れてたんだべよお」
「ぎえー」
 あまりにベタな内容だったけれど、僕はおっちゃん達の方言がやけに心地よくて、一緒になって感心したり怖がったり突っ込みを入れたりしながら、しばらくそうやって喋っていた。
 いつの間にか陽が暮れていた。

半纏とヘルメット

「んじゃ、そろそろ行くけ」
 叶姉妹の職業は何なのか? という話題がひと段落ついた頃、おっちゃん達が身支度を始めた。時計を見ると、本番まであと二〇分だった。
「どこで見るんですか?」
 と尋ねると、
「そりゃあオレたちが作った花火だっけさ、真ん前で見るべ」
 僕はそのとき内心、「イケル!」と思った。
「実は僕ね、今日どうしても撮りたい写真があるんですよ。花火をバックにね、花火師の男衆がしぶい後ろ姿で立っているっていうやつ。おじさん達、そのモデルに最高なんだけどなあ」
 僕がそう言うと、現場に向かいかけたおっちゃん達の足が、ぴたりと止まった。一瞬、間が空いて振り向いたその顔は、今日見た中で、一番真剣な表情だった。
「神聖な現場でそんな真似できるか!」
「だいたいおめえ、部外者だろうが!」
 そう怒鳴られそうな気がして、僕は即座に自分の軽率な言動を悔いた。
「いや、いいです、冗談です」
 そう口を開きかけたとき、リーダー格のおっちゃんが言った。
「……そういうことならおめえ、半纏着なくちゃサマんなんねえべ?」
「おお、そうだそうだ」
「おい、車ん中に半纏あったべ?」
「おお、あったあった」
「ヘルメットもかぶった方がいいべ?」
「おお、かぶるべかぶるべ」
 おっちゃん達は口々にそう言いながら車に引き返すと、背中に「花火」と書かれた半纏とヘッドランプがついたヘルメットを取り出して、いそいそと着替え始めたのだった。
 こうして僕の花火大会デビューが決まった。それも打ち上げ現場で。

富士山

 その瞬間、僕は後ろにひっくり返った。
 目の前10メートルから打ち上げられた一発目の花火は、僕に向かって火花を飛び散らしながら、でっかく大輪の花を咲かせて、頭の上にばしばし火の粉を降らせた。
 警備員の横を半纏姿のおっちゃん達に混じって、「ご苦労様です」とか言いながら何食わぬ顔ですり抜け、辿り着いた場所は、鍵屋のスタッフが詰めている大会本部よりも現場に近い、まさに特等席だった。
 ドズン、と腹に響く打ち上げ音。ひゅろろろ……と尾を引き、ぱあんと夜空に咲く花。
 息継ぐ間もなく打ち上がる色とりどりの花火に、僕はカメラを構えるのも忘れてぽかんと口を開け、ただただ見とれていた。
「あー首痛え」
 ふと横を見ると、おっちゃん達がそう言いながら慣れた面もちで花火を見上げていた。赤や黄色に染まるその顔は、一つ一つの花火の内容を吟味し、仕事の成果をきっちり見届けようとする職人の顔だった。
「次は仕掛け花火の大舞台、『富士山』です」
 アナウンスが聞こえた。
「おい、次だ次! にいちゃん、どこ行けばええ?」
 クレーンで富士山の形に吊った導火線に、火が放たれる----おっちゃん達の最高傑作の出番が来た。
 僕は慌ててカメラを準備し、「ここ! いやそこ! あ、もうちょいこっち!」とか叫びながら、おっちゃん達をスタンバイさせた。
 真っ白い火花を散らしながら、夜空に巨大な富士山の輪郭が浮かび上がる。
 歓声。火花。煙。おっちゃんの背中。夢中でシャッターを切る。煙に包まれ、涙があふれる。咳き込みながら、なおも切るシャッター。
 気がつくと富士山は夜空に溶け込み、拍手が沸き起こり、おっちゃん達は最高に満足げな顔で、元の場所に戻っていた。僕は地面にぺたりと尻餅をつき、富士山の燃えカスを頭に浴びながら、さっきまで富士山がそびえていた場所を呆然と眺めていた。
「おい」
 腕を引かれ見上げると、にやりと笑うおっちゃんの顔があった。
「最高だべ」
 そう言って顎をしゃくり、隣に引っ張ってくれた。
 空には、この日最後の花火が次々と打ち上げられていた。

(2002年8月1日発行『TALEMARKETvol.08』より)






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